大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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シリーズ「吉野作造の周辺の人々」
 

第5回 優等生の兄を持ったガキ大将

吉野信次(よしのしんじ)1888-1971
吉野作造周辺の人々 第5回 吉野信次 優等生の兄を持ったガキ大将 「吉野家12人の子どもたちの中で、作造と特に仲が良かった弟が10才違いの信次です。信次は三男として生まれ、東京帝国大学法科を経て農商務省に入り、商工大臣、運輸大臣を務めました。
◆吉野作造との接点◆
 信次は1937年に出版した随筆『青葉集』で、大臣就任の自負とともに幼年期を回想しています。模範生の兄作造は成績優秀かつ温厚な性格だったのにひきかえ、信次はよく母親から「おあんさん(お兄さん)は人とケンカしたことがなかった」としかられたり、親の目を盗んで芝居小屋に入ってチャンバラ劇をまねて遊んだりするガキ大将だったようです。
 また、仙台七夕祭りで鴨南蛮をおごってもらったのが兄に親切にされた唯一の記憶だと書いています。しかし実際は、29才で大臣秘書官に抜てきされたときも作造と大臣が知り合いだったことが関係しましたし、官僚時代も作造が仕事に協力しています。
 戦後、信次は以下のように書きました。「兄の民本主義思想は危険視され、世間からは相当迫害、少なくとも白眼視されたまま、昭和8年、55才で世を去った。当時愚兄賢弟の噂すらあった。世の中が落ちついてみると、やはり私たち兄弟は賢兄愚弟と相場がきまったらしい。
 
シリーズ吉野作造周辺の人々
第1回 守屋和郎 第2回 岩住良治
日本大使として、アフガニスタンへ。 小牛田町北浦出身の農学者。
第3回 土井晩翠 第4回 青木存義
デモクラシー(民本主義)賛歌を吉野に どんぐりころころの作詞者
第5回 吉野信次 第6回 斎藤秀三郎
優等生の兄を持ったガキ大将 短気な英語学者
第7回 大槻菊男 第8回 澁谷栄太郎
社会運動に参加した外科医 荒谷生まれの洋画家
第9回 瀬戸潔 第10回 山口仁道
社会運動に参加した外科医 考古学に情熱を傾けたおしょうさん
第11回 佐藤利助 第12回 佐藤記一郎
アメリカに渡った呉服商 東京で交流した同郷人
 
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  おしゃれだった!?作さん
  金銭感覚はなかった?吉野博士
  泣いた子供をあやすのが得意だった吉野
  吉野は大の甘党!?
  だれとでも仲良くなれた吉野!?
  吉野家は人でいっぱい!
  古川小学校の親友たち
  デートは歌舞伎座で?
   └補足:演劇画報「先づ観劇料を」
  気の弱さは天下一品!?
  少年たちよ、有名になれ
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