大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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シリーズ「吉野作造の周辺の人々」
 

第8回 荒谷生まれの洋画家

澁谷栄太郎(しぶやえいたろう)1897-1988
吉野作造周辺の人々 第8回 澁谷栄太郎 荒谷生まれの洋画家 宮城県の洋画界を導き、今なお河北美術展に「澁谷栄太郎賞」という形で名を残している澁谷栄太郎は、1897年に荒谷で生まれました。

◆吉野作造との接点◆
 澁谷家は吉野家と遠い親せき筋にあたります。吉野は幼い頃、荒谷に遊びに行くと必ず土蔵の本を読みふけっていたそうです。また、帰郷すると必ず澁谷家に立ち寄り、澁谷家の子供たちとみやげ話などに花を咲かせました。
 年齢が19才も離れていた栄太郎にとって、東京から帰って来る吉野はあこがれの的でした。栄太郎が東北に美術展覧会を開く運動に熱心に取り組んだのも、行動する学者であった吉野の影響によるものかもしれません。
 吉野の弟正平は、栄太郎の姉つるよに恋心を抱き、両者の縁談話が持ち上がったこともありました。中国の天津より一時帰国していた吉野は母親からこの話を聞き、正平を裕福な澁谷家の婿養子とし、何とか学問を続けさせたいとの手紙を栄太郎の父、栄蔵に送りました。しかしこの縁談は実りませんでした。つるよには別に恋心を抱いている人物がいたためです。正平は失恋の痛手でしょうか、その後2年続けて高校受験に失敗します。正平の結婚は兄弟の中で一番遅く、32才の時でした。
 
シリーズ吉野作造周辺の人々
第1回 守屋和郎 第2回 岩住良治
日本大使として、アフガニスタンへ。 小牛田町北浦出身の農学者。
第3回 土井晩翠 第4回 青木存義
デモクラシー(民本主義)賛歌を吉野に どんぐりころころの作詞者
第5回 吉野信次 第6回 斎藤秀三郎
優等生の兄を持ったガキ大将 短気な英語学者
第7回 大槻菊男 第8回 澁谷栄太郎
社会運動に参加した外科医 荒谷生まれの洋画家
第9回 瀬戸潔 第10回 山口仁道
社会運動に参加した外科医 考古学に情熱を傾けたおしょうさん
第11回 佐藤利助 第12回 佐藤記一郎
アメリカに渡った呉服商 東京で交流した同郷人
 
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  おしゃれだった!?作さん
  金銭感覚はなかった?吉野博士
  泣いた子供をあやすのが得意だった吉野
  吉野は大の甘党!?
  だれとでも仲良くなれた吉野!?
  吉野家は人でいっぱい!
  古川小学校の親友たち
  デートは歌舞伎座で?
   └補足:演劇画報「先づ観劇料を」
  気の弱さは天下一品!?
  少年たちよ、有名になれ
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