大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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シリーズ「吉野作造の周辺の人々」
 

第11回 アメリカに渡った呉服商

佐藤利助(さとうりすけ)1858-1924
吉野作造周辺の人々 第11回 佐藤利助 アメリカに渡った呉服商  古川の呉服商、佐藤利助は、吉野家と深くかかわった一人です。利助は田尻で生まれ、明治初期に古川の呉服商、佐々木才蔵の新店に奉公に入った際、作造の父、吉野年蔵が一番番頭として働いていました。
 吉野年蔵は利助の相談相手として公私にわたって交流しました。商売人に合うようにと、利三郎から利助への改名を勧めたのも吉野年蔵だったそうです。利助は明治15年に呉服店を始め、その後岩出山に機業場を建てるなど事業を拡大しました。一方綿屋として独立した吉野年蔵は、羽二重に手を出して失敗し、利助から財政援助を受けるほどでした。
◆吉野作造との接点◆
 利助は、1919年(大正8年)2月、募集に応じてアメリカへ蚕糸業の視察旅行に出掛け、当時最も進んでいたアメリカの文明をつぶさに観察して来ました。その際、英語でのサインの仕方やアメリカについての予備知識を、渡米経験がある吉野作造から教わったということです。
 吉野の日記にも、1月12日と13日、利助が来宅し、アメリカ行きの相談に来たこと、2月には東京の問屋連中の送別会へ共に出席したことが記されています。出発の前日には利助を見舞うなど、親戚のようにつき合っている様子がうかがわれます。
 
シリーズ吉野作造周辺の人々
第1回 守屋和郎 第2回 岩住良治
日本大使として、アフガニスタンへ。 小牛田町北浦出身の農学者。
第3回 土井晩翠 第4回 青木存義
デモクラシー(民本主義)賛歌を吉野に どんぐりころころの作詞者
第5回 吉野信次 第6回 斎藤秀三郎
優等生の兄を持ったガキ大将 短気な英語学者
第7回 大槻菊男 第8回 澁谷栄太郎
社会運動に参加した外科医 荒谷生まれの洋画家
第9回 瀬戸潔 第10回 山口仁道
社会運動に参加した外科医 考古学に情熱を傾けたおしょうさん
第11回 佐藤利助 第12回 佐藤記一郎
アメリカに渡った呉服商 東京で交流した同郷人
 
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  おしゃれだった!?作さん
  金銭感覚はなかった?吉野博士
  泣いた子供をあやすのが得意だった吉野
  吉野は大の甘党!?
  だれとでも仲良くなれた吉野!?
  吉野家は人でいっぱい!
  古川小学校の親友たち
  デートは歌舞伎座で?
   └補足:演劇画報「先づ観劇料を」
  気の弱さは天下一品!?
  少年たちよ、有名になれ
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