大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の人物像についてのご紹介
吉野作造について 民主主義の実現のために奔走した作造の生涯
 
吉野作造プロフィール 吉野作造の生涯年表
 
大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造のプロフィールのご紹介

どんな活躍を

   した人?

1878年1月29日、宮城県志田郡大柿村(現在の大崎市古川)生まれ。東京帝国大学教授法学博士。「民本主義」を主張し、大正デモクラシーの中心となった人物。
誕 生 日 1878年(明治11)1月29日 水瓶座
体   型 やせ型
チャーム・ポイント 大きな目と大きな耳
職   業 東京帝国大学教授(現在の東京大学,法学部で政治史を担当)その他,朝日新聞社論説委員,袁世凱の息子の家庭教師なども経験。
趣   味 芝居見物,古本集め,エスペラント語学習
習 い 事 ピアノ(大人になってから始めた。あまりまじめには練習しなかったのでへたくそだった。)
好きなスポーツ テニス,スケート,自転車乗り
好きな食べ物 コンニャク(おでん屋さんではいつもおかわりした),釜揚げうどん
得 意 料 理 だんご(ヨーロッパに留学してたとき,腕前を披露した。)
健 康 法 乾布摩擦と特製栄養ドリンク(牛乳・卵・ブドウ酒のミックスドリンク)
得意なこと 意見の違う相手を納得させて仲良くすること
苦手なもの 東京弁(どうも仙台弁から抜け出せなくって…。)
兄   弟 12人(姉2人,ぼく,弟4人,妹5人)
子   供 7人(娘6人,息子1人)
 
大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造が目指した「民本主義」とは?
 ちょうど今から100年前の1916年(大正5)、吉野作造は大正デモクラシー運動の理論的基礎となった論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表しました。この論文で吉野は「民本主義」という言葉を使い、
 @国民の利福のために
 A国民の意向に基づいた
政治が立憲国家には必要だと論じています。
 「民本」とは「民は惟れ邦の本なり」(書経)に由来した言葉で、国民のために政治を行うという意味では、それ以前にも使われていました。しかし吉野の「民本主義」では、国民の利福だけではなく、国民の意向に基づくことの必要が指摘されました。そして、主権がどこにあるかという所在の問題ではなく、主権の運用の仕方を問題にすることで、世論を政治に反映させ、ひいては普通選挙・政党政治への道筋を切り開こうとしたのです。

 こうした考え方は、天皇主権を重んじる国家主義者だけではなく、社会主義の人々からも中途半端な思想であると非難を受けました。しかし、当時の政治状況を冷静に分析し、段階的なデモクラシーの発展を目指した吉野の主張は、国民に広く受け入れられ、今日につながる日本の民主主義の基礎となったのです。

 
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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の生涯を綴った年表
1878年
(明治11年)
宮城県志田郡大柿村96番地(現在の古川市十日町)に、「綿屋」を営む父年蔵・母こうの長男として生まれる(戸籍名「作蔵」、大正6年5月「作造」と改名)。  
1884年
古川尋常小学校(現在の古川第一小学校)に入学。優秀なる成績を収める。
1892年

宮城県尋常中学校(現在の仙台一高、校長は大槻文彦)へ入学。成績優秀により特待生。

1897年

中学校を首席で卒業。
旧制第二高等学校へ入学。尚絅女学校校長ミス・ブゼルの聖書研究会に参加。

1900年
阿部たまの(20歳)と婚姻。
第二高等学校を卒業。
東京帝国大学法科大学政治学科に入学。本郷教会(牧師海老名弾正)で「新人」 の編集に参加協力。
1902年 この頃社会主義に興味を持つ。大学では一木喜徳郎の国法学と小野塚喜平次の政治学に傾倒。
1904年 「露国の満州占領の真相」を『新人』に発表。
政治学科を首席で卒業し、大学院へ入学。
東京帝国大学工科大学講師となる。
1905年

『ヘーゲルの法律哲学の基礎』有斐閣書房より刊行。

1906年
袁世凱の長子、克定の家庭教師として天津に赴任。
1910年 3年間の欧米留学に出発。最初はドイツ・ハイデルベルク大学。
翌年オーストリア・ウィーンで労働党の示威運動を見聞。
フランス・ドイツ・イギリス・アメリカを経て帰国。
1916年 『中央公論』に論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表。
1919年 普通選挙論』刊行。
1924年 朝日新聞社へ入社。「枢府と内閣」を発表。
朝日新聞社を退社。
明治文化研究会を設立し、明治文化の研究に没頭する。

1927年

(昭和2年)

「無産政党の辿るべき道」を刊行。社会民衆党結成のため奔走。
1928年

第1回普通選挙の立候補者、女婿の赤松克麿を応援するために古川へ。
中央公論社顧問格に就任。

1929年
「現代政局の展望」を「中央公論」に発表。
1930年 「現代憲政の運用」刊行。
1932年 「中央公論」に「民族と階級と戦争」を発表。

1933年

(昭和8年)

逗子小坪の湘南サナトリウム病院にて逝去。
「古川餘影」 刊行。

吉野博士の生家は現在、「吉野ポケットパーク」になっています。

「四季彩通り」にある「幸福の黄色いポスト」を目印に探してみよう!!

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