吉野作造の色んな顔
今野良隆(平成16年度博物館実習生)

@
紙芝居(かみしばい)

『吉野作造の色んな顔』の

はじまり、はじまり〜
A
まず、何といっても、吉野作造さんは

「民本主義」という考え(思想)を

主張しました。

民本主義は「政治というものでは、民衆(みんな)のためにするものである」という考え方で、今の国民(みんな)1人1人が主役である民主主義のもとになっているとても大事な考えなのです。
B
吉野作造さんはここ古川市の出身です。

今から126年前の1878年(明治11年)古川市十日町で棉問屋をしていた吉野年蔵さんの長男として生れました。
12人兄弟の3番目です。
(昔の人は子供を沢山産んだんですね〜)

吉野作造さんは大変優秀な子供だったそうで、古川でははじめて中学に入る時には、仙台に行く作造をたくさんの人が旗を降って見送ったそうです。
C
キリスト教を信仰していた吉野作造さん。

吉野作造さんは高校時代にキリスト教に出会い、キリスト教を信じるようになりました。

理由としては仙台にはキリスト教の学校がたくさんあったことがあげられます。
D
吉野作造さんは仙台で中学・高校生活を送った後、東京帝国大学(今の東京大学)で法律学を勉強しました。

作造さんは大学の卒業論文に『ヘーゲルの法律哲学の基礎』という本を書きます。

その後、大学に先生として戻ってきた作造さんは政治学を教えるかたわら、大正デモクラシーの先駆者(せんくしゃ)として活躍(かつやく)しました。
E
吉野作造さんが活躍していた当時、日本は隣りの中国・朝鮮を植民地として支配して自分のものにしようとしていました。

作造さんは民族f独立運動を行う中国・朝鮮の人達と親交(しんこう)を持ち、民族運動を応援しました。
F
吉野作造さんは政治を勉強するためにヨーロッパの色々な国を旅行しました。

勉強をしながら、作造さんは色々な国でたくさんのおいしいものを食べたにちがいありません。

そんな作造さんは旅行が大好きだったのかもしれません。
G
吉野作造さんが生きた明治・大正・昭和という時代は今とは違ってすべての人が選挙の時に投票することができなかった時代でした。

作造さんはみんなのための政治を目指し誰でも選挙の時に投票することのできる「普通選挙」の実現に向けて努力しました。

「みんな20歳になったら必ず選挙にいこう」
H
吉野作造さんが45歳になった1923年(大正12年)、関東大震災という大きな地震がおこりました。
作造さんは地震によって、明治時代を知る上で重要な本やものがなくなることを感じました。

そこで「明治文化研究会」という団体をつくり、明治時代を研究して『明治文化全集』を書きました。
I
ここまで吉野作造さんは色々なことをしていたことがわかってもらえたかな?

作造さんは「民本主義」を主張しただけでなく、色々なことをしてきたのですね。

そんな作造さんは古川が誇る偉大な人なのです。

おしまい

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