吉野作造博士はどんな人?

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吉野作造 博士

(政治学者、大正デモクラシーの旗手)

 <誕生日>
 1878(明治11)年1月29日生まれ

 <生れたところ>
 宮城県志田郡大柿村96番地

 (現在の宮城県大崎市古川十日町)

 <体 型>
 身長165cm、やせ型

 <好きな食べ物>
 アイスクリーム、おしるこ、コンニャク

 <趣 味>
 古本あつめ、芝居見物

 <好きなスポーツ・運動など>
 テニス、スケート、自転車乗り

 <習い事>
 ピアノ

吉野作造の生まれた実家

吉野年蔵(父) = 吉野こう(母)

兄妹12人(子供たち)

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兄妹12人

  ・しめ (女)

  ・りき (女)

  ・作造 (男)

  ・ちとせ (女)

  ・やと (女)

  ・りえ (女)

  ・みつえ (女)

  ・仂蔵 (男)

  ・信次 (男)

  ・正平 (男)

  ・すつ (女)

  ・五郎 (男)

一番初めに生まれた人が家をつぐ

当時の慣習では、一番最初に生まれた子供が家をつぐことに決まっていたので、長女しめが家を継ぎました。

吉野家は綿問屋

家は綿問屋で、新聞の取次配達を

していました。

吉野作造の小学時代は

どんな生活をおくっていたの?

(吉野作造 6歳〜)

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古川尋常小学校に入学

(今の大崎市立古川第一小学校)

作造の父・年蔵は教育熱心

毎日復習をさせました。

小学校の高等科で

英語を勉強していました。

家の近くの英語塾にも

通っていました。

作文がとっても得意

吉野作造の中学校は?

(吉野作造 14歳〜)

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宮城県尋常中学校に入学

(今の仙台第一高等学校)

古川から仙台の中学に入るのは作造が

初めての生徒でした。

作文の点数が良かった。

校長先生に養子にならないかと言われた。

友達と回覧雑誌りはじめた。

友達は小山東助(気仙沼出身、代議士)

全国の文学少年愛読の『学生筆戦場』に投稿した「秋の月」が懸賞に輝いた。

これは、亡くなった姉しめのことを月をみながら想っているという内容。

吉野作造の高校時代は?

(吉野作造 19歳〜)

 

結 婚

(吉野作造22歳、たまの20歳)

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第二高等学校に入学

(今の東北大学)

論文の書き方を勉強

 先生に文章をていねいに見てもらい、何回も書き直しされ、きびしく批判された。そのおかげで、わかりやすい文章になった。

キリスト教に入学

 宣教師ミス・ブゼルの聖書研究会に参加しました。

芝居見物

 学校帰りに毎日のように仙台座にいき

芝居をみた。作造は幕の間に宿題をして

すごしました。

休みを利用し徒歩旅行

 夏休みなどの休みを利用して、徒歩で何日も旅行に行きました。

 その旅行で知り合った仙台女子師範学校の阿部たまのと結婚。結婚したときの年齢は、吉野作造(22歳)、阿部たまの(20歳)でした。

吉野作造の家族

作造 = たまの(妻)

子供7人

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子供7人

 ・信 (女)

 ・明 (女)

 ・光子(女)

 ・秀 (女)

 ・敬 (女)

 ・俊造(男)

 ・文子 (女)

生活の中心は東京。

吉野作造の大学時代は?

(吉野作造 22歳〜26歳)

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東京帝国大学法科大学に入学

(今の東京大学法学部)

政治学の勉強

 小野塚喜平次(助教授)の政治学を勉強しました。

中国・天津へ

  大統領袁世凱(えんせいがい)の息子の

               家庭教師をしました。

  北洋法政専門学校の教師をしました。

その他に、調べてみたいこと、わからないことがあったら

吉野作造記念館に行って調べてみよう!!