大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
 

吉野作造記念館 第5号 もくじ

1.吉野作造の歩いた場所をたどってみよう
2.企画展紹介 宮城の先人からの贈りもの
 古川市が生んだ政治学者・吉野作造博士の偉業を顕彰するために建設されました当記念館も、平成七年一月二十九日の吉野博士の生誕の日に開館して以来、早や六年目を迎えました。この問、多くの方々のご愛顕・ご指導を賜り、かつ、ご来館をいただきましたことに対しまして厚くお礼を申し上げます。吉野作造記念館は、平成九年五月に天皇・皇后両陛下のご視察をいただきました。また平成十年四月一日から作家の井上ひさし氏に名誉館長への就任をいただき、ご講演やご指導などをいただいております。さらに、郵政省が二十世紀へ残すものとして十七回シリーズでデザイン切手を発行しておりますが、その三回目として平成十一年の十月に吉野博士の肖像画が入った切手が発行されました。
このように吉野作造記念館も着々とその名を全国に発信しております。今後とも、皆様のご期侍に添えますようにそして皆様に親しまれる記念館を目指して、その業績や著書、さらには吉野博士の人となり、生きた時代背景、影響を与えた人物などについてわかりやすく知っていただくことを第一に念頭に入れながら、職員一丸となって事業を進めてまいりたいと思っております。皆様にはこれまでにも増して、ご支援・ご協力を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
1,吉野作造の歩いた場所をたどってみよう      門間友恵
 平成11年8月21日、初の試みとしてなつやすみ親子教室「吉野作造の歩いた場所をたどってみよう」を開催しました。コースとなった各場所を紹介します。

吉野作造記念館
 平成7年に開館した施設で,古川市教育委員会が管理・運営を行っています。入り口の右手に,「古川学人吉野作造之碑」があります。これは,昭和41年,吉野先生を記念する会が古川市民会館の敷地内に建立したものですが,開館時にここへ移築されました。

荒雄神社 
 昭和6年,県内でも有数の醸造業を営んでいた青沼彦治が私財を投じて建立しました。菅原道真,楠木正成,和気清麻呂の3者を祭っています。隣接する旧荒雄公園も,神社に先立ち,彦治の働きかけでつくられたものです。当時から,人々の憩いの場であり,桜の季節には多くの花見客で賑わっています。現在公園は拡張され,園内には駐車場やイベント広場,祥雲閣,吉野作造記念館などがつくられています。なお,吉野作造の甥・孝雄の妻が,青沼家の出身です。

大崎タイムス社
 昭和22年に創立された新聞社です。古川市を中心に広く大崎全域の情報を手掛けています。社内には,吉野作造の弟で,戦後運輸大臣を務めた吉野信次の書(額装)が飾られています。

吉野作造生家跡
  吉野作造の生まれた家があった場所です。現在は小さな公園に整備されています。平成10年には古川ロータリークラブが,「人生に逆境はない…」という吉野の言葉を刻んだ記念碑を建てました。

古川座跡
 明治45年に建てられた劇場です。回り舞台,花道,升席など本格的な設備があり,歌舞伎から新劇まで多くの有名な俳優がやって来ました。戦後は映画を中心に興行しましたが,昭和34年,国道が建物を貫いてつくられることになり,惜しまれながら取り壊されました。吉野は大正13年と昭和3年に,友人や弟子の選挙応援演説のため古川を訪れ,ここで講演を行いました。

旧祇園寺裁縫学校
  明治14年,祇園寺きくが私塾として始めた学校です。明治29年より,県の許可を受けて私立祇園寺裁縫学校と称し,昭和24年に校名を現在の祇園寺技芸専門学校に改めました。古川の女子教育の先駆的役割を担い,これまで多くの卒業生を送り出しました。昭和30年頃には生徒数が1,000人を超え,規模は東北随一と言われました。吉野もここへ通う生徒たちを見ていたのでしょうか。

瑞川寺 
 吉野作造の両親や兄弟の墓があります。曹洞宗の寺で,山門は室町時代につくられた古川市最古の木造建築物です。吉野自身の墓は,残念ながら古川市ではなく,東京都府中市の多磨霊園にあります。

緒絶橋 
 緒絶川に架かる,白玉姫の伝説で有名な橋です。現在のものは大正14年につくられました。緒絶川は古川市の中心市街地を流れています。少年時代の吉野は,この川で魚取りや水浴びをして遊んだことでしょう。現在,橋の西側には「市民ギャラリー緒絶の館」があり,市民の作品発表・鑑賞の場となっています。

旧古川小学校 
 吉野作造が学んだ小学校です。現在の古川第一小学校ですが,吉野が入学した明治17年には,古川小学校という名前でした。吉野は明治25年に卒業するまでの8年間をここで過ごします。正門前には,吉野と友人の三浦吉兵衛が発起人となって建てた,恩師・細川松三郎の頌徳碑があります。

志田郡役所跡
 吉野作造は明治11年に生まれました。生家は現在の古川市十日町にありましたが,その辺りは当時,志田郡大柿村という村でした。大柿村はのちに周辺3村と合併して志田郡古川町となります。その郡の政庁である志田郡役所があった場所です。 建物は,大正15年に郡役所が廃止されたあとも,学校や公民館として利用され,昭和31年には,古川市金五輪の祇園八坂神社に移築されて社務所となりました。現在,その社務所は取り壊されなくなっています。

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2,企画展紹介宮城の先人からの贈りもの    田澤晴子
細川松三郎(1868−1918)と山内卯太郎(1860−1927)
 古川小学校時代、吉野に大きな印象をあたえた細川松三郎だった。細川は当時24歳の意欲的な先生だった。吉野ら門人総代が建立した頌徳碑によれば、勉強熱心で日本歴史の源を探るかたわら歴史の歌をつくって児童に教えた。また品評会を開催し農事の発達進歩をうながすなど古川小学校校長として長くつとめた。吉野は1916年の著書を、幼い日に歴史への関心を呼び起こした細川の霊にささげた。
 また当時の校長山内卯太郎は吉野に学問への興味、特に書物への関心を高めた恩人である。山内は『歴史読本』などを読んで聞かせ「曽我兄弟の話を読んで先生まず涙を含んで声をくもらせ」ると吉野も一緒に涙ぐんだ。吉野の読書作文好きが始まった。山内は校長として小学校入学者を増やし、教育講習会の講師を炎暑のさなか連日5時間にわたって務めるなど、教育熱心さと人格の良さから生徒や町の人々から慕われ、惜しまれて1896年(明治29)熊本県に転任した。吉野は上京後も連絡を取り、1909年(明治42)10月山内を囲んで古川小学校同窓会を在京メンバ−12人で開いた。
大槻文彦(1847−1927)と服部誠一(1841−1908)
 宮城県尋常中学校(現宮城県仙台第一高等学校)初代校長大槻文彦は、近代的国語辞書『言海』の著者として歴史に名高い。2年半という在任期間ながら学生たちに与えた影響は大きかった。吉野は作文の成績が良いのを見込まれて大槻から目をかけられる一方、毎週一時間の倫理の講義で「偏狭な島国根性の蒙をひら」かされた。大槻が話したのは、江戸時代に国防の必要を説いた仙台の思想家林子平の伝記だった。大槻は質の高い人材を呼びよせ教育内容の充実に努めた他、生徒をつれて一泊旅行をしたり、学校の新築にたずさわるなど初期の学校経営に力を尽くした。吉野らは卒業後、東京で大槻を囲む会「壬辰旧雨会」を年1、2度開催した。
 中学校時代の作文教師のなかで吉野に印象ぶかく残った教師は服部誠一(撫松)である。服部は明治初期に『東京新繁昌記』を書いて一世を風靡したジャ−ナリストで自由民権運動にかかわった政治活動家でもあった。56歳で中学校の作文の教員として仙台に赴任、10年余りを過ごした。既に和文調の文体を確立していた吉野は、漢文くずしの服部の教えは合わなかったが、その人物には大いにひかれた。服部の教えた漢文は正統なものでなく、難しい熟語を並べ立てて中学生たちを煙にまくようなものだった。その後明治文化研究を始めてから、吉野は明治初期の服部の業績の偉大さに気づくこととなる。
押川方義(1851−1928)とミス・ブゼル(1866−1936)
 吉野作造がはじめてキリスト教の説教を聞いたのは中学生時代、押川方義からだった。当時東北学院長で日本キリスト教会派の押川が毎週木曜日講堂で修身講話をしており、吉野は友人と聞きに行ったところ、日清戦争後の風紀の乱れを難ずるその迫力に驚き、それが第一印象だった。吉野の生涯を支える道徳としてのキリスト教との出会いであった。
 アンネ−・S・ブゼルは、アメリカ合衆国に生まれ、26歳で宣教師として仙台に来た。尚絅女学校初代校長としてキリスト教教理の講義を教えた。聖書の時間では生徒同士の議論や論文作成を重視、また育児法という名称で性教育や女性の生き方についての講義も行った。第二高等学校生相手のバイブルクラスからは、吉野たち、キリスト教精神を社会で実践しようとする行動人が出た。吉野はブゼルの還暦祝いの席でブゼルより人生の指針となるキリスト教精神を教わったと述べた。
佐々政一(1872−1917)
 吉野の政治評論の方法に大きな影響を及ぼしたのは第二高等学校時代の国文科教師佐々政一だった。1896年(明治29)東京帝国大学文科大学を卒業し25歳で第二高等学校に赴任、2年半を過ごした。吉野には鴨長明についての評論を書かせた際、3度にわたって丁寧に批評した上書き直しを命じた。自分の考えを長明に即して書いた吉野に、評論とは相手の文章を深く読みこみ研究した上で行うべきだという評論の方法を体得させた。
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*第1号は吉野作造記念館ニュースとして発刊。
 
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