大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
 

吉野作造記念館 第6号 もくじ

第4回吉野作造講座「パネルディスカッション 吉野作造を伝える」
企画展紹介「柳田國男と吉野作造−しだれ櫻をめぐって−」
「人世に逆境は無い 如何なる境遇に在ても天に事へ人に仕へる機会は潤沢に恵まれてある」
大正十三年六月念五 吉野作造

 吉野が書いたこの言葉の意味を知るには、書かれた日付が重要な意味を持っています。これに先立つ一九二四年(大正十三)年2月、吉野は東京帝国大学教授という地位を捨て、朝日新聞社に編集顧問兼論説委員として入社します。吉野を迎えた朝日は、入社披露の意味をこめて朝日新聞社時局問題講演会を関西・関東・東北地方で開催します。しかし、神戸での吉野の講演内容のうち、五箇条の御誓文について語った内容が問題視されます。吉野は明治政府成立の背景を説明しながら、この御誓文が明治政府の「悲鳴」であったと論じました。この「悲鳴」発言が国家主義団体に問題視され、吉野は六月二六日朝日を退社します。この文は退社の前日六月二五日に書かれており、吉野の当時の心境と考えられます。朝日退社という逆境にあってもなお社会に尽くす道を模索しようとする吉野の切実な思い、その根底にあるキリスト教への信仰が吐露された貴重な一文といえます。
 なお、同じ内容の一文が、二六年に刊行した「現代政治講話」の扉にペンで書いたものが当館に所蔵されています。この文は吉野生家跡地に九八年、古川ロータリークラブが建てた記念碑に吉野の言葉として刻まれています。

第四回吉野作造講座「パネルディスカッション 吉野作造を伝える」
 第四回吉野作造講座「パネルディスカッション 吉野作造を伝える」が一月二八日に開催されました。市民の立場からみた記念館や吉野作造像について討論した要旨を紹介します

コーディネーター
佐佐木忠慧(ささきたださと)
一九三一年古川市生まれ。宮城学院女子大学教授、同大学院教授を経て九八年より名誉教授。現在市民ギャラリー緒絶の館館長、古川市文化財保護委員会委員長、古川市史編さん委員等文化行政で活躍。

パネリスト
佐藤多賀典(さとうたかのり)
一九六一年古川市生まれ。「ふるかわ市民創作劇場」第二回より参加、第四回副実行委員長。

進藤恵美(しんどうえみ)
一九五六年山形県河北町生まれ。九三年より古川市に転入。田尻町立大貫小学校情報アドバイザー、宮城県森林インストラクタ。

杉内弘行(すぎうちひろゆき)
一九五五年丸森町生まれ。築館高校、名取北高校、仙台南高校を経て九六年より宮城県古川女子高校。

早坂雅彦(はやさかまさひこ)
一九五九年小野田町生まれ。志津川小、開北小、旭小を経て九五年より古川第二小学校勤務。

佐佐木
 吉野作造は市民一般からどのように受け止められているのか、どのような形で市民文化に溶け込んでいくのか 。
 
佐 藤
 郷土が生んだ大変立派な先生だが、具体的な業績や思想については、難しくてなじめない。もっと違った感覚で捕らえられるような状況が欲しい。まもなく開館七年目を迎えるが、建設の目的や理念を、見つめなおし、総括する時期ではないか。一つは伝え手としてわかりやすく親しみやすく、対してもっと開かれた記念館であって欲しい、多面的な機能を発揮できないか。
 
進 藤
 市民に吉野作造についていろいろ調べる中で、日本を変えた明治以降の偉人の中に吉野作造が含まれているということを知った。郷土が生んだ偉人だという誇りのもと。記念館があって当然、生誕の地として資料を保管するのは、古川市の義務。大分県の中津市ではインターネット「諭吉ネット」で、大々的な町おこしをやっている。古川も負けずに「作造ネット」のようなものを作ったらどうか。吉野作造記念館は身近じゃなくて近づきがたいというのが実感。一つはリピーターがない。2番目に個人記念館ゆえに守備範囲が狭い。3番目は明治大正の頃の日本と現在では人々の価値観も、時代背景も異なって、吉野作造の時代と共有できるものがない。神奈川県平塚博物館は市民は自分たちが生活する地域をより深く理解して、愛着を養い、未来に関わっていくための中心にあると考えていた。この思想は今後の吉野作造記念館にも使えるのではないか。市民の力をいかに施設に生かすかということが今後の大きなポイントになるのでは。
 
杉 内
 高校教育の学習指導要領に吉野作造という名前は出てこない。山川出版の教科書には吉野作造と民本主義に関する資料が載っている。政治経済でも吉野作造、大正デモクラシー、民本主義という言葉が載っている教科書もある。日本の民主政治を紹介するときに、身近な存在から話せば、少しは興味を持ってくれるので、三人の人物、千葉卓三郎、吉野作造、鈴木文治を取り上げている。吉野に関しては、言葉は「民本」だが、彼の言ってたことは民主主義だということを、その時代背景を話しながら、時代の中で自分の信念に基づいて、世界的な視野でもってそういう判断をしていた人物がいたということを訴えかけ、吉野なり、民主主義というものの理解に結びついていけばいい。吉野について、多数の生徒が名前を知っているが、内容についてはあまり知らない。日本史の授業で、吉野作造、民本主義、大正デモクラシーを取り上げるのは、十五分ぐらいが現状。
 
早 坂
 古川第二小学校の六年生を担任したとき、教科書に吉野作造という人物の写真と文と中身が載っており、「これは何とか使えないかな」と思い、古川の誇れる人物として六年生の社会科の中で取り入れた。理由は、日本を代表する政治学者で、普通選挙とか戦後の民主主義につながること、本校で使ってる教科書にも載っていること、古川の出身のため。最初に六年生の子供たちからアンケートを取り、あまり知られていないので授業を組んだ。政治学者なので足跡が子供たちの見えるところにない、ふるさとの人だからといって子供たちが好きになるわけでなく、取り扱える時間が、少なかったという問題があったが記念館の学芸員に作造のエピソードなど話しもらい、作造について調べてみたいことを提示して、一人ひとりがその問題を解決するための時間を作った。結局はほとんどがこの記念館を使って解決した。これらの学習を通じて子供たちからいろいろ出された。子供たちのほうから「民本主義」を大事だといい始め、最後にアンケートした。結果として、高い成果を上げた。最後に作造への手紙を書かせた。その中で出てくる言葉に「誇りに思う人」とか「自慢できる人」「素晴らしい人」とかという言葉がいっぱい出てきた。子供たちの中にも少し意識の変化が出てきたのかなと感じた。
 
佐佐木
 要約すると、事業運営を総括する必要がある、もっと多面性を持たせる、もっと親しみやすく、あるいはもっと郷土の偉人、誇りとして捉える必要があること。小学生を対象にして、もっと学ぶ楽しさ、誇りに思う人、そういう観点からこの記念館をもっと活用できないか、とまとめられる。事業運営の総括についてはどうか。
 
佐 藤
 まちづくりの中で吉野作造記念館の位置付けが、中途半端に思える。古川市のまちづくりの中に位置付けて、市民の意識の中に浸透させていくような強い姿勢が必要。
 
進 藤
 このままではリピーターを期待することはできない。市民の人たちと一緒に盛り立てるためにはどうしたらいいかと考える時期に来ている。
 
佐 藤
 市民文化に吉野をもっと根付かせていくこと、記念館の可能性を高めていくという観点から、ここを拠点にして、まちの将来のことを議論していく、人々の幸せを願って本気になって活動していくような方々の拠点的な機能を持てないか。図書館を併設すれば市民が学習する環境という点で一番いい。またわかりやすい表現方法と入りやすい雰囲気が欲しい。
 
進 藤
 市民の足を遠ざける原因の一つに、入館料がある。「友の会」制度を作って、年会費を払えば何度でも入館できるシステムが必要。記念館の持つ専門的知識を市民にわかり易く伝える、例えば解読講座、裏打ち講座、文庫本をハードカバーに製本する講座など。記念館のまわりの全施設を活かしたリレー講座などを開催したらどうか。時代の動向を的確に捉え、進むべき方向を指し示すことができた吉野にちなみディベート大会はどうか。生きがいづくりや、居場所づくりということもこれからの行政の仕事ではないか。みんなが楽しむためにはどうしたらいいのかというところのコントロール役が行政に任されるのではないか。
 
佐佐木
 行政だけに任せるのは難しいので、ボランティアの支援を頂くことも必要。
 
杉 内
 学校教育を一つの橋渡しにしながら、生涯教育にわたって吉野作造を自分の中で考えていけるような環境をつくっていくことが古川市や古川市民に課せられている。もっと市がピーアールすべき。今度総合的学習の時間が設けられ、キーワードの中に「郷土」「地域」を念頭に置くことになった。今後、吉野作造を取り上げる機会、要素はある。
 
早 坂
 吉野作造という人物を知らないで育つ子供たちと、そうでない子供たちでは差が大きい。古川の子供たちに、吉野作造という人物はこういう人だということを皆に知ってもらいたい。記念館をいつでも利用できる環境があれば。
 
佐佐木
 「民本主義」という政治的な方法論を吉野は理論化したが、社会の中では生きてるが名前は忘れられるのが学者の宿命。古川の生んだ吉野作造の社会的な価値ということになれば、近代日本を作った人物。伝統というものは必ずよみがえる。そのためには絶えず発信しなければならない。次の世代ではもっともっと輝くのでは。そのためには古川の生んだ吉野作造先生を改めて伝えていく必要がある。
 
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2,企画展紹介柳田國男と吉野作造   ―しだれ櫻をめぐって―
このたびの企画展では、日本民俗学の祖・柳田國男と、吉野作造との知られざる交遊関係を中心に、東北を旅した二人の足跡や、古川の民俗芸能や行事を紹介しています。
1しだれ櫻をめぐる交遊
 柳田は吉野より三才年長で,共に東京帝国大学法科大学政治科出身だった。間接的な交流は一九一五年ごろ(大正四)よりあった。一九二四年(大正十三)二月,朝日新聞社に同時入社した二人は,共に関西や東北地方を講演旅行した。四月中旬には仙台、秋田、山形で共に講演旅行した。この際古川にも立ち寄り、友人内ケ崎作三郎の選挙応援演説もしている。山形市での講演の際、千歳館から見たしだれ桜の美しさをきっかけに,仙台のしだれ桜に話が及び、吉野は柳田に地元宮城県仙台のしだれ桜を贈ることになった。この桜は,エドヒガン群のシダレ型で花色はうすく一重のもので、現在も世田谷区成城の柳田邸で花を咲かせている。
 二人の直接的な交遊関係はこれ以後始まる。神戸の講演を右翼団体が告訴したのをきっかけに吉野は六月二六日退社する。吉野を助けるため柳田も東西を奔走したと伝えられている。朝日退社後も交流は続いた。吉野が同年一一月立ち上げた明治文化研究会の賛助員として柳田も名を連ねている。明治期の文献研究を始めて日の浅い吉野にとって柳田は先輩でもあった。
 また、吉野は成城の柳田邸とともに,朝日新聞社の下村宏自宅の西宮市く苦らくえん楽園にもしだれ桜を送っている。下村草稿「大正十三年思い出草」には、吉野退社にまつわる問題がメモ風に記されている。吉野は退社後も明治の文献や古本に関し下村と交流した。なお下村と柳田は旧知の間柄だった。
 柳田は、民俗の問題としてしだれ桜を取り上げている。しだれ桜の成長には何らかの人為が必要であり,桜の場所に昔の人々の意図があると考えた。旅行での観察体験などから,霊場や死者を祭る場所にしだれ桜やしだれ栗を植えた信仰風習があったと推測,昔はしだれた樹木に神霊が降りてくると考えられていた,と仮定した。
2 東北の旅・柳田と吉野
 柳田は一九〇五(明治三八)年から一九六〇年(昭和三五)までに三〇回東北地方を訪れている。なかでも一九二〇年(大正九)朝日入社を契機に始まる旅は柳田にとって「旅の学問」を確立する重要な意味をもつ。この時の東北旅行は四二日間に及んだ。宮城県内へは一四回,主に講演会や大学の講義で訪れている。年譜に記載されていないが,一九三〇年(昭和五)初夏には石巻に訪れ,教育勅語は郷土教育に言及がないのが不満だと述べ,憲兵が柳田宅に来たという「事件」もあった。柳田にとって旅は学問の方法である。旅行場所も名所旧跡ではなく,多様な日本の実情を見聞するために辺境の地に好んで足を向けている。そして各地で郷土や民俗に関する地域の研究者を育成しようとした。吉野にとって旅行は講師としての講演旅行及び選挙応援演説と家族の慰安旅行がその主な内容である。訪れた場所も現在の県庁所在地中心で,都市中心の旅行である。主に政治の現状や批判など時事問題中心に講演をして人々の政治意識の啓発を行った。一九二〇年代以降の吉野の旅先での楽しみは古本市めぐりだった。家族旅行の行き先は専ら温泉で,宮城県内では白石や鳴子で日常の疲れをいやした。
3 古川の民俗
 古川の民俗として、一九七四年に年古川市指定無形民俗文化財となった保柳神楽の衣装やお面、神楽をビデオで紹介。また一九八八年宮城県指定無形民俗文化財となった米倉鹿島神社献饌行事の様子をビデオと写真で紹介している。
 そして古川の各地に伝わる小野小町伝説を、伝説の場所を地図と写真で紹介、巫女などの女性宗教者たちがこの地で亡くなった事実が、小野小町伝説となったという柳田の説も紹介している。
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第13号
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第12号
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第11号
吉野作造記念館だより第10号
第10号
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第1号          

*第1号は吉野作造記念館ニュースとして発刊。
 
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