大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
 
吉野作造没後七十年

- 成城のしだれ桜・八十年今年こそ、古川へ里帰りを -

館長  田中 昌亮

吉野作造記念館だより 第8号 もくじ

1.故人寄贈の櫻悲し

2.書斎漫談
3.古川高校感想文
4.一年を振り返って
― イベントダイジェスト ―
5.没後70年に寄せて 吉野作造の葬儀
   
   
 

6.赤松克麿・立候補演説会 ― 応援弁士・吉野作造 ―

.新資料発見・堀木祐三あて吉野作造ハガキ 1919年6月9日
8.吉野が歩いた東アジア
9.交流した東アジアの人々
10.五四運動・三一運動への共感
11.猪木武徳氏「民主主義と人材育成」

1.故人寄贈の櫻悲し   柳田国男

 「私は何もいふことはありません、たゞ、吉野君から私のところへおくられた仙台の櫻が三本ばかりあります、さかずに十年、今さくかと、今年も櫻を眺め待ってゐたのに、突然吉野君の訃報をきゝまして、何の言葉もなく、感慨無量です 」(帝国大学新聞 昭和八年三月二十一日) 

 一九二四(大正十三)年、吉野作造は、東京帝国大学教授を辞し、二月七日朝日新聞論説委員として入社した。
  「四月十七日 朝早い汽車で古川に向ふ 柳田君同行、浦町森安君宅事務所に入る 午後小野田の演説会 集るもの千人を超え片田舎としては空前の成績也 夕方帰る 中里に入る 兄母を招き柳田君と会食す 夜遅く中島派の壮士暴れ込む 中の里に泊る 十八日 午前は田尻で午後は古川で演説す 共に非常の盛会なり」(吉野日記・一部省略)
  当時朝日新聞に入社していた柳田国男も同行した。
  吉野は同年神戸で「現代政局の史的背景」と題して演説。これが主因となって六月二六日朝日新聞を退社した。
  この年吉野は成城の柳田邸の新築祝に、仙台・榴ヶ岡の「しだれ桜」の苗木三本を贈っている。
  言論不自由の時代の「しだれ桜」。八十年後の今、大木になり春になると満開になるという。今年没後七十年。古川吉野作造記念館に里帰りを実現したいと思う。

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2,書斎漫談
 ついこの間まで日陰に雪が消え残っていた荒雄公園の木々の葉が、きょうはリズミカルに、風に身をまかせて心地よく踊っています。『春風
駘蕩』そのものです。この言葉には生きとし生けるものを温かく見守り、育む包容力を感じます。
  春風といえば『電光影裏に春風を斬る』という偈文があります。これは円覚寺開山、無学祖元が在宋当時、白刃を振りかざし寺に押し入ってきた元の兵士に向かい、泰然として述べた言葉です。真理の前に恐れるものは何も無いという覚悟を示しています。
  行動する政治学者として、常に民衆の側に身を置くことを求めた吉野作造のまなざしは、春風駘蕩の如くであったろうと思います。また、言論を封殺しようとする団体に毅然として向きあった時の吉野は、まちがいなく無学祖元の目をしていたことでしょう。
  このような郷土の先人の思いを、混迷をきわめる現代にもう一度よみがえらせてみたいものです。
  まもなく公園は桜の季節を迎えます。ぜひ隣の記念館まで足を延ばしてみて下さい。


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3.古川高校感想文

一年二組 三澤雅史
 今、日本の政治は国民の為のものとは言っていますが、まだまだ一部の人の私利私欲に振り回されている部分があり、直接国民の声が届いているとは思えません。今の政治を行う人が皆、吉野作造のような考え方であれば、もっと、もっと政治を国民の身近なものとして感じられると思います

一年二組 加藤仁
 歴史に名前を残す人達は皆、その時の社会情勢や背景にあまり捕らわれることがない自由な発想や強い意志があったのではないかと思います。今まで私はそのような人達が身近な人とはとても思うことができませんでした。しかし今回、吉野作造記念館を見学して、日本の歴史に名を残す人が身近にいたのだと実感することができました。 

引率の先生のインタビュー

加藤 巌 教諭(社会科公民担当)

1来館した際の生徒の反応はどうでしたか?

ブック型スクリーンや映像が上の壁に映し出される設備に感動していたようです。来館したことによって吉野作造の存在を知った生徒もいましたし、民主主義と民本主義の違いについて学べる良い機会になりました。郷土の偉人に触れたことによって生徒にプラスになったと思います。

2記念館で面白いと思う企画は?

まずは市民に分かりやすい講座をしてみては。例えば、生い立ち編、思想編・・・等ジャンルを5つくらいに分けて興味があるところだけ聞きに行けるようなそういう誰でも気軽に参加できる講座があってもいい。学生向けには、吉野作造をテーマに取り上げて、人物、出来事、背景など個々で調べ学習するといった総合学習の一環としての企画もいい。「知ってるつもり吉野作造」なんていう生徒もいましたよ。

3先生の考える記念館の役割とは?

 郷土の偉人である吉野作造の存在を次の世代へ伝えていくこと。彼の思想を通じて「人づくり」が出来ればいいと思います。「人づくり」は学校だけでは出来ません。父兄、教員、地域社会が一つの輪を作って子供を育てていかなければなりません。なんといっても、古川学人の「路行かざれば至らず事為さざれば成らず」の精神をより多くの人たちに語り伝え、21世紀の社会に貢献する素晴しい人間を育ててほしいと思います。

古川商業高等学校  (現古川学園高校) 普通科総合コース

一年E組 木村 裕美

何よりも私が一番すごいなあと思ったのは博士の人柄でした。優しく、何よりも国民の事を考えていたからこそあの「民本主義」という考えを唱えられたのでしょう。その人柄は、私の心にいつまでも新鮮に残るに違いありません。私も博士のように、自分の意見をはっきり主張出来るような人になり、この二十一世紀を自分らしく輝いて生きていこうと思いました。

一年E組 門脇 裕也

政治とは国民全体の幸福を中心に考えるものだ。そんな考えを「民本主義」と呼んだ吉野作造博士は、一生涯国全体、そして国民の事を考えてきたんだなと思った。当時の政治と言えば一部の身分の高い人が幸せであれば良いという政治だったけれど、それでは絶対いい国にはならない。そして民本主義を唱えた吉野作造博士の考えのスケールの大きさに驚いた。

引率の先生のインタビュー
阿部 澄江 教諭(英語担当)
1来館した際の生徒の反応はどうでしたか?

小中学生の時に行ったことがある生徒もいましたが、初めて行く子がほとんどだったようです。事前に吉野作造について少し話をして行ったので興味を持って見学できたと思います。実際目で観た印象の方が大きいですからね。今の子供達は目から入る情報に敏感ですから、ビデオは特に面白かったようです。展示内容も吉野作造という人物がよくわかるものだったと思います。

2記念館で面白いと思う企画は?

 子供たちにとって吉野作造の功績を理解するのは難しいと思います。違う角度から身近に感じる為に、昔の写真と今の古川を照らし合わせながら吉野作造の幼少時代をたどってみては。古川のことを良く知る機会にもなりますし、子供たちには興味深いかもしれません。

3先生の考える記念館の役割とは?

 新しいものを追いかけるのも一つなのかもしれませんが、長く変わらないのも一つの役割だと思います。来館した年齢によって感じ方が違うのでは。私自身、吉野作造が民本主義を唱えた年齢になって来館すれば、先日とはまた違う捉え方をすると思います。記念館には子供たちが成長して故郷に帰ったとき変わらない姿で残っていてほしいです。

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4,一年を振り返って ― 吉野作造記念館 イベントダイジェスト ―

特定非営利活動法人古川学人 理事長 佐々木源一郎

 平成14年4月、古川市の要請に応えて吉野作造記念館を管理運営してきたNPO法人「古川学人」が発足して早一年を迎えます。
民間人の持ち味である自由な発想と弾力的運営によって、記念館がより一層身近な、開かれた施設として幅広く活用されるよう心がけてまいりました。窓口応対をはじめ、小学生から大人までそれぞれの入館者に応じた説明・解説を行い、貸室の活用や開館時間の延長等、運営面で改善工夫出来るものを積極的に取り上げ、活気に満ちた記念館にすべく役職員一同ボランティア精神で対応しております。又講演会・勉強会の機会も従来以上に設け、大勢の皆さんが参加しやすいよう企画してまいります。記念館に所蔵しております学術的に貴重な資料等についても、誰でも利用しやすいよう整備しております。全国に誇れる吉野作造記念館を市民参加型の施設にすると共に、広く情報発信基地としての役割を果たしてまいります。

みなさんは吉野作造記念館で毎年多彩なイベントを開催しているのをご存知でしょうか。ここでは昨年度開催しました各種行事の様子をご紹介いたします。吉野作造記念館の意外で新鮮な一面を発見してください。
〈ゴールデンウィーク企画〉
4月27日〜5月6日
大人気企画「吉野作造クイズラリー」に挑戦する親子の姿が印象的でした。「問題を解くために展示品をじっくり見学する良い機会になった」というお父さんの声も。記念館は笑顔であふれました。
〈中学生のための吉野作造講座〉

7月25日・26日

古川の偉人、吉野作造をより身近な人物として知ってもらおうというこの企画。吉野が書いた色紙に込められている意味を解読したり、童謡を題材として明治・大正・昭和の時代背景を学びました。
〈2002サマーイベント〉
 7月27日・28日
 普段見学することのできない記念館の裏側を含め、全館を探検!職員の説明に熱心に耳を傾けながら参加した子供たちは、心に残った「記念館」を紙粘土ですてきに表現してくれました。皆で描いた一枚の大きな絵も素晴らしい作品になりました。
〈吉野作造講座〜小説でよむ吉野作造とその時代〉

8月3日〜10月26日(全6講義)

 毎回吉野に関係のある小説を読み、吉野とその時代への造詣を深めました。他市町からも多数のご参加をいただき大好評のうちに終了いたしました。新たな吉野作造の魅力の開花に繋がったことでしょう。

〈ビデオ上映会〉

 8月10日・11日

 このほど発見された荒雄地区の貴重な映像を、懐かしい古川の様子と共に上映いたしました。懐かしい映像に会場からはざわめきが絶えませんでした。
〈 企画展 交流する東アジア
    ―吉野作造と中国:朝鮮― 〉

 十月十六日〜十二月八日

吉野作造と交流した朝鮮半島の人々や現代でもなお光を放つ吉野の東アジア論を多角的に紹介。
〈近代化遺産ツアー〉

11月2日

 明治・大正時代へのタイムトラベルに参加したトラベラーは二十名!市内各所から鳴子まで足を伸ばしました。普段なかなか目をむけることのない古い建物の価値や意味を再認識できたのではないでしょうか。
〈読売・吉野作造賞受賞者講演会〉

 11月10日

 この時期にしては珍しい降雪にも関わらず満席となり、今年度受賞者である猪木武徳氏の講演に聴講者は熱心に聴き入っていました。
〈井上ひさしの吉野作造講座G・H〉

 12月21日

 作家で当記念館の名誉館長でもある井上ひさしさんによる講座は今回も大盛況!井上さんの温かい人柄にふれ、会場は笑いに包まれました。(主催:古川市教育委員会・吉野先生を記念する会)
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5.― 没後70年に寄せて 吉野作造の葬儀 ―
 一九三三(昭和八)年三月十八日吉野作造は永眠した。この年、東京音頭が大流行した。「それははやっていたなどといった生やさしいものではなかった。東京の町中が東京音頭の中にうずもれていたようであった。毎日夕方が近づいて来ると、どこからか太鼓(たいこ)の音がきこえて来る。ちょっとした広場という広場に、太鼓がもち出され、うわついた、はなやかな東京音頭の調子が、その太鼓の撥(ばち)の音に、もつれて流れて来た。」と田宮虎彦は書いている。念仏踊・ええじゃないか・東京音頭・サッカーの応援と一本の糸につながっているような気がする。
 前年、五・一五事件で犬養毅が暗殺。一九三三年滝川事件、一九三五年天皇機関説問題がおこり、一九三六年二・二六事件、一九三七年日中戦争へと泥沼に入りこんでいく。吉野が永眠した一九三三年は正に舞台の転換期であった。
 青山学院講堂は二千余名の参列者で満員であった。

 故吉野作造葬儀順序
  昭和八年三月二十一日午後二時―三時、澁谷区緑岡町青山学院大講堂

  司会者 野 口 末 彦

 一、奏 楽   海老名道子

 一、賛美歌 五六五 一 同

 一、聖書朗読  額賀鹿之助

 一、祈 祷   司 会 者

 一、独 唱   原田 君代

 一、履 歴   牧野 英一

 一、告別辞   海老名弾正  安部 磯雄

 一、頌 栄 五六八 一 同

 一、終 祷   海老名弾正

 海老名道子の奏楽に続き讃美歌五六五(現四八九番)。(一節) 

きよき岸べにやがて着きて、
天(あま)つみくにについに昇らん。
その日数えて玉(たま)のみかどに、
友もうからも我を待つらん。  
  やがて会いなん、
   愛(め)でにしものと
   やがてあいなん。

 が一同によって歌われた。

額賀鹿之助牧師がコリント後書四章七節〜十八節を朗読した。

「我らの顧みる所は見ゆる者にあらで見えぬ者なればなり。見ゆる者は暫時にして、見えぬ者は永遠(とこしえ)に至るなり。」
 司会者の祈祷。原田君代嬢の讃美歌独唱。牧野英一京大教授の履歴朗読。その結びは
「さらば、吉野君よ、安らかに眠りたまへ。吉野君がわれわれの間に投じた光明の理想に照らされて、われわれも亦、その途を実に遠く踏みつづけることにいたしたい」
 海老名弾正・安部磯雄の「告別の辞」、ボリヒムラヤ・コールの送別の歌、弔辞・弔電・頌栄五六八。
 そして海老名弾正の終祷。親族を代表して吉野信次の挨拶。時間も正確に営まれ、一時間のうちにすべてが執り行われた。 斎藤昌三の「菎蒻(こんにゃく)と猥談(わいだん)」から一部を引用して結びとする。
「正面先生の写真を中心にして、花輪の贈られたものが一寸数えても七八十あった。左翼団体のもあれば思想団体のもあり、新聞雑誌社からのもあれば、舞踊家や俳優のも入り混っていた。その中につつましやかに『本郷 呑喜(のんき)』などもあって、先生在世中の多方面な交渉を思わされ学者臭のない自由主義者としての先生の縮図であることが、誰にもうなずけた。殊に予は呑喜とあるのを見て、先生の最も知己である花輪だと秘かに微笑もしていた。」
 (基督教世界・賛育会ニュース参照・引用)  (田中昌亮)

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6.赤松克麿・立候補演説会 ― 応援弁士・吉野作造 ―
 橋平酒造店の佐々木一郎氏のご提供である。封筒は茶色のハトロン紙。佐々木平之丞・佐々木平太郎宛。差出人は「社会民衆党・労働農民党、共同公認候補・赤松克麿」封筒裏の左下に小さい活字で頒布責任者・袖井開(袖井林二郎先生のご尊父)と印刷してある。
 一枚は「立候補宣言・赤松克麿」。もう一枚は「推薦状・我等は何が故に赤松克麿君を推薦するか」で、推薦人は安部磯雄・鈴木文治・吉野作造・与謝野寛(鉄幹)・与謝野晶子の五名である。
 一九二八(昭和三)年、普通選挙による衆議院議員選挙が初めて行われることになり、宮城一区から、赤松克麿が立候補した。赤松は吉野作造の次女、明と結婚したので、その縁で吉野の故郷古川町古川座で第一声をあげることになったのである。 
 二月一日の演説会は大友為三郎が開会の辞、師義三(社会民衆党)、そして赤松克麿、最後に吉野が「無産政党の使命」という題で講演した。
 なお選挙の結果は、赤松は六、〇七二票で落選。吉野作造と関係のあった内ヶ崎作三郎は一万四、二七五票で当選。菅原伝は一万三、三五七票当選。守屋栄夫は一万二、六〇三票当選であった。
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7.新資料発見・堀木祐三あて吉野作造ハガキ 1919年6月9日
 堀木祐三(一八九四〜一九八二) は、幼年学校士官学校をへて陸軍大尉のとき病気療養のため三十歳で帰郷、その後農村指導者として活躍した。農協の前身である信用販売購買組合を育て一九三六年には射和村長に選任、戦後松阪市会議員を二期務めた。
 堀木は軍人でありながら、軍隊内部に対する強い疑問や批判をもっていたらしい。『思想管見、初年兵と軍隊』(未見)という著書でそのことを書き、吉野と親交を結んだとされている(近藤政郎『堀木祐三さんに思うこと』)。このハガキの内容は、吉野に会いたいとの堀木の申し出に対する回答で、七月十日ごろなら都合がよいこと、八月二日から四日まで神戸に行くときでもよいが、他の訪問客に妨げられる可能性があることを返答している。吉野の日記によれば、一九一九年七月十六日、「午後土佐の中尉堀木祐三君来る。中々一風変った好愛すべき青年なり。軍人の中にもこんな人があると思へばうれしくもあり」とある。文面から察するにこれが初対面だったようである。十九日には学士会で麻生久らと懇談し、八月七日にも堀木君来訪とあるから、お互い意気投合した様子がわかる。その後も東京で何度か吉野と会っている。そして吉野が『中央公論』一九二三年三月号に掲載した「兵卒保健問題」は、「無名の青年将校よりの通信」となっているが実際には堀木祐三からの情報であった。軍隊の非合理的で非衛生的な生活を告発する堀木の書簡を、吉野は抜粋する形で紹介し、軍隊内部の深刻な問題として世論に訴えかけた。吉野にとって堀木は軍隊内の問題を「民本主義」の見方で提供する貴重な情報源であった。
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8.吉野が歩いた東アジア
@天津 
 1906年1月より3年間、清国直隷総督袁世凱の長子袁克定の家庭教師として吉野は妻子を連れて中国の天津で暮らした。契約条件の食い違いで半年間賃金を支払われないまま、友人の借金で旅館暮らしを余儀なくされた。熱心だったのは在津日本人のYMCA(キリスト教青年会)活動や交流会で、中国への関心はうすい。日本租界の自治行政を行う「天津居留民団」1908年通常民会の行政委員選挙では、いずれも落選ながら吉野も参加していることがわかる。
A満州・朝鮮半島
 1916年3月から4月までの4週間奉天・満州・吉林・長春・ハルビン等、中国・朝鮮半島を旅行している。旅行の中で若い反日中国人に同情し、日本人の問題点についても考察した。欧米留学で見聞した日本人の問題点、朝鮮人留学生や日本に亡命した中国革命派との交流が、吉野の中国観を一変した。
B上海
 1923年7月には上海の在留日本人向け夏期講座に招かれ、連続講演を行った。この時は主に在留日本人と交流、内山から紹介されて通州を見学、「こんなのが支那に沢山出来て之が基礎となると支那の統一は出来ると思ふ」と吉野の眼は中国革命への期待と好意に満ちていた。 
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9.交流した東アジアの人々
 吉野の東アジア論は在外日本人、在日中国人・朝鮮人からの生きた情報が基礎になっている。日本人では、同じクリスチャンで外交官の友人からの情報を特に重宝した。中国人では中国革命亡命者と子弟である。松尾尊~「吉野作造と会った中国人」によれば、革命派、革命派軍人のほか革命の中心人物である孫文と黄興、中国人YMCAの幹事馬伯援などと交流、特に革命派の活動家殷汝耕(1889〜1947)は23回日記に登場、中国革命の情報を吉野に伝え、その報告により『支那革命小史』を執筆した。19才の周恩来も吉野宅の門をたたいたことがある。また東大YMCAを通じて朝鮮人留学生と交流した。東大YMCAで日・朝・中三民族学生の懇談会を主催、独立運動と日本の社会運動の担い手両者が交流した。独立運動を主導した新聞『東亜日報』は、総督府秘書課長の守屋栄夫と吉野、二人の古川出身者の尽力によって創刊された。  
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10.五四運動・三一運動への共感
  吉野の中国論と朝鮮論は1916年を境に劇的な変化をみせた。吉野の中国論転換の契機は、中国革命史研究と情報提供者・革命志士たちとの交流である。

五四運動への共感
 19年のパリ平和会議を契機とする反日反軍閥の五四運動に共感を表明したたった一人の日本人が吉野作造だった。吉野は両国国民の共同提携と社会改造運動を主張、日中知識人の交流計画を実現にうつした。

吉野の朝鮮論
 在日朝鮮留学生たちとの日常的交流が吉野の朝鮮論を転換、日本の植民地であった朝鮮統治を批判し、19年の反日独立運動である三・一運動への共感を公にした。関東大震災における朝鮮人虐殺事件では、「苦々しき事限りなし」と日記に書き、被害の実態を調査した。調査結果は戦後まで公にされなかった。大人ばかりか子どもも虐殺された実話を聞き、「これを悔いざる国民は禍である」と日記に書きつけた。
 

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11.猪木武徳氏 「民主主義と人材育成」 読売・吉野作造賞受賞者講演会要約
猪木武徳氏略歴
 1945年生まれ。京都大学経済学部卒。マサチューセッツ工科大学院博士課程終了。現在、国際日本文化研究センター教授。
本年度、『自由と秩序―競争社会の二つの顔』で受賞した猪木武徳氏の講演会が十一月十日に開催されました。
今回お話するテーマは「民主主義と人材育成」です。この二つの言葉がすぐこの題から結びにくいところもあるかと思いますが、徐々にこの関係を私なりに解き明かしていきたいと思います。

デモクラシーと経済システム
 『自由と秩序』という本の中で描いた私の基本的なイメージを単純化して申します。政治には、独裁的なシステムとリベラルデモクラシーというシステムがある。経済に関しましては、当局が経済を運営していくというエリート志向の計画経済と自由なマーケット、市場に任すというやり方がある。幸いにして、我々日本人は自由なマーケットと、そして機会の平等、政治参加の平等が保障されているリベラルデモクラシーとが結合したシステムで生活をしています。
 しかしデモクラシーで決めたことが必ずしも良いとは誰も保証できない。多数が決めたことで間違っていることはたくさんあります。最終的に選択され、生き残っていくものを市場の原理だけに任せておくと、文化的生活レベルが落ち、劣悪な、生活環境を習慣として選びとってしまうというようなことがありうるのです。リベラルデモクラシーとマーケットのシステム、自由な市場のシステムとは、最善でも最悪でもない。今まで人類が見つけてきたシステムの中では、欠点がそれほど致命的なものではないということが言えると思います。これからはそのシステムを上手に使いこなしていくというような知恵が求められることでしょう。


人材育成の現状と課題

1 司法職
 民主主義にとってどういう人材育成が、重要な働きを演ずることになるのか、職業を三つか四つに分けてお話したいと思います。
 最初にお話するのは司法職です。デモクラシーにとって重要な司法職は市場経済でも不可欠な役割を果します。地球的規模で経済活動の広がりが早くなると、競争が激しくなり、不正をする誘惑に駆られる人が多くなる。そのような人間を見つけて、そして公正な裁きにかけて、正義を守っていくという仕事がきちんとできなければならない。国としてそういう司法容量といいますか、そういうキャパシティーがちゃんとないとデモクラシーなり、市場の制度っていうのは維持していけないわけです。

2 公務員
 二番目は公務員です。官僚機構は今まで優秀な人材を吸収して、そしてその役割を果たしてきましたが、二つの意味で、十分それに答えられるだけの能力を持つ集団ではなくなりかけています。一つは官僚の不祥事がメディアによって大きく取り上げ、叩かれたことによって、若い優秀な人材が公務員になるという気概を失ってしまっているということ。もう一つは、これからの公務員が要求される能力の水準があがってしまったということ。今後はより専門的な知識が要求されます。

3 ジャーナリズム
 三番目の職種はジャーナリズムです。このジャーナリズムに関しましては、デモクラシーが主張する自由の中に思想や表現の自由という非常に重要な自由が含まれますから、不可欠なものです。ジャーナリズムがいかなる性質を持ち、いかなるレベルのものであるのか、ということは一国の知的な水準、あるいは将来その国がどういう方向に進んでいくかということを決定する非常に重要な要素であります。ところが残念なことに良い要素がない。日本のジャーナリストは有能な人材を採用しながらその後が基本的にOJT(現場研修)だけだった。それを破って専門分野を勉強するというもう少し中長期的な再教育をやるというシステムを導入しないと日本は立ち遅れてしまいます。ジャーナリズムというのはデモクラシーを支える非常に重要な機能を持っています。

4 学校教育
 日本の教育でもう一度見直した方がいいという点を最後にお話したいと思います。ひとつは、日本の学校教育は定形的知識を偏重し過ぎたということ。日本のやり方は教育知識を詰め込む、あるいは正解がある問題に関して正解を上手く与える、というものでした。だから学生は自分で徹底的に調べて成果を書きなさいというと非常に不安がります。そういう自信のなさを若い人が吹き飛ばして、エネルギーを注げるような余地を残した教育体制みたいなものが必要です。もちろんそれだけじゃ困るんですけども。学問とは鍛える要素がありますから、嫌いなことでも、覚えないとしょうがないということがありますよね。鍛えるって要素と同時に今申し上げたような教育が一つ欠けていた。
 もう一つは古典です。古典は読むことによって人間に、自分が知らないことがたくさんあるのだという、そういう謙虚さ正直さを教えてくれる。どんどんでてきた解らないことをさらに調べるというような知的エネルギーを我々日本人がこれから持ちリベラルデモクラシーを健全に発展させていくということが今必要なことではないかなと思います。

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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
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