大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
 
吉野作造記念館だより 第9号 もくじ

1.留学時代の一枚

2.書斎漫談
3.企画展「憧れのヨーロッパ」
4.もうひとつの吉野像
5.図書・資料システムを導入します
 

6.佐々木平太郎日記

.子供向けホームページ 「はかせのたまご」
8.こんなことやっています
9.寄贈資料一覧

1.留学時代の一枚

 右記の写真は、1910年(明治43)ドイツ・ハイデルベルクの最初の下宿で撮影された写真です。吉野の留学時代はほとんど残っていませんので、貴重な一枚といえます。

 向かって右に座っているのが下宿の女主人、通称「ナップ姿」です。最初の4ヶ月間吉野は、野地菊司(二本松出身・眼科医)と「ナップ姿」の七十二才の老婆宅に下宿、二階四室を使用、パン・コーヒーの朝食付で60マルクでした。これは学生の下宿としてかなり高額で、吉野も「品性劣等」で「強欲」なナップ姿に嫌気がさし、東大同僚・中田薫の住んでいたGreaser氏宅へ移っています。

 脇に立っているのが当時女中をしていて、吉野最初の親しき友人となったグレタ・コルムシュテッター。吉野は最初の新年をグレタの故郷・リーデンハイムで迎えたのち、半年近く郵便局長をしていたコルムシュテッター家で読書と静養に過ごしています。吉野の下に座っているのが野地菊司、二本松出身の眼科医で、四月三十日に同船以来ハイデルベルク時代は兄弟にようにつきあいました。野地によれば、ドイツ語教授は後藤新平も教えを受けたリーザ・フォン・ピットーニに依頼、人格高き老婦人で、毎日のように吉野と野地の会話練習の相手となり、日曜には教会や公園、近郊の散策に付き合ったといいます。

吉野は書籍の注文歯ぐきの腫れもの切開手術の立会い、野地息子の作文添削、転居の際の荷造りまで、十才年上の野地の世話をよく焼きました。思想的には相容れなかったものの、野地は吉野を最も信頼し、肌身離さずもっていた懐中時計に「慎忍」の文字を書いてもらい、生涯の護符としたといいます。

参考「野地菊司自叙伝」 国立国会図書館蔵


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2,書斎漫談

 地震や冷害といった、自然が見せつける力の前では人間の営みなどいかにも無力に思われます。しかし、だからといって日々の生活をなおざりにしてよいということにはなりません。同じように先人も幾多の困難を克服して愛すべき郷土をつくりあげてきました。
 いま、当地でも市町の合併協議が進められています。地域の立て直しのために、合併はひとつの選択肢でありましょう。しかしながら、多くの圏域住民にとって、この問題は、誰かがうまくやってくれるだろうといった感じの、他人事のように見えているのも事実です。
 それは、行政や議会の合併後の姿はマスコミ等で報じられてくるのに、肝心の住民の将来像についてはさっぱり見えてこないからではないでしょうか。ただし、それに関する情報を共有するには、発信者の責任はもちろんですが、受け取る側も主体的にかかわることが重要です。
 住民一人びとりが、合併の当事者として少しでも関心を持ち、行動、発言することが、大きな力となって、次代に誇れる良い結果を生むでしょう。先人がそうしたように。

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3.企画展「憧れのヨーロッパ」
10/11〜12/13
 吉野作造は1910年4月より政治史および政治学研究のため満三ヶ月ドイツ・イギリス・アメリカへの留学する。この三年間の軌跡について、遺された詳細な日記の記述を中心に、吉野の留学時代を紹介したい。
1吉野作造が歩いたヨーロッパ
 吉野が文部省から派遣命令を受けた1909年度(明治42)の派遣留学生は39名(うち自然科学28名)、中央および地方官庁、私費などで、主に医学系を中心に43名の留学生がヨーロッパに向かった。
 実際、吉野は人文系ながら、多くの医学生、自然科学系の学生と交流し、病院見学や研究室を訪ね、見聞の幅を広げている。そして最初はドイツ・フランス・ハイデルベルクで約8ヶ月生活した後、各地でドイツ・フランス・イタリア語等、語学習得に力点をおきつつ数ヶ国を見聞するという留学形態をとった。各地で在留日本人のネットワークに参加して情報を得たり、議論を戦わせた。特に帝大関係者の結びつきは強固なものがあり、私費で単独の留学生をうらやましがらせた。そして語学教師やキリスト教青年会関係者を通じてドイツの家庭に入り込み、日常生活の深みから、政治に対する考え方の違いを学んでいった。
2留学先で交流した人々
ヨーロッパ滞在中、現地で交流した外国人は184名にのぼり、各地の語学教師、キリスト教青年会関係者、教会関係者、大学教授の他、同宿の学生や宿の人々等と交流した。一定程度の学歴をもった人物がほとんどあり、語学教師との交流頻度は特に多く、ハイデルベルクで交流した老婦人Pittoniとは同地を離れてからも交流が続いている。語学は教師のほか、芝居好きの趣味と実益を兼ね、オペラの台本と鑑賞によっても習得した。また、大学キリスト教青年会活動に熱心なEberhard Prildiusとはウィーンで知合いになり、その招きで吉野はジュネーブの万国議員会議、ジュネーブ大学の夏期講習会、万国平和教会大会に参加している。吉野が交流した日本人は、吉野日記に5回以上登場した人物だけでも74名にのぼる。留学仲間、ヨーロッパ駐在の外交官、会社員、教会関係者がその主なメンバーである。留学仲間のうち、生涯の親友となった佐々木惣一(京大・憲法学)との交流回数が最も多く、165回にのぼる。次に多いのは牧野英一(東大・刑法)、野地菊地(二本松の眼科医)の71回、ついで狩野直喜(京大・東洋哲学史)63回、藤田秀太郎(東大・眼科)65回、奥山清治(二高・東大卒・大使館員)45回となっている。帝大出身者のネットワークと、東北地方出身者のつながりが親交を深めているようだ。
3キリスト教社会事業・民主政治論への道程

 クリスチャンであった吉野にとって、ヨーロッパ各地で見聞した教会の説教・行事は、それまでのキリスト教への観念をくつがえす体験であった。まず吉野が知ったのは、カトリック・プロテスタントともに礼拝内容が「面白くない」ことであった。それは新しい思想を盛り込み興味をひきつけて信者を獲得する必要のある日本と異なるからだと考えた。また各地で交流したYMCAメンバーの道徳的品性が際立って立派であることに感心。その原因のひとつとして、ドイツのキリスト教は家庭中心であることに注目している。また、キリスト教は「手近の所より神様の気に入る事をしてゆく」という倫理的で社会的に発達して来たものと見た。実際に、ヴュルツブルクの司教が建てたというユリウス病院(慈善院)、世界最初のセツルメント・トインビーホールの見学、熱心な青年会活動の体験により、社会に生きるキリスト教を見聞、大いに啓発をうけた。これらの体験は、吉野にキリスト教精神による社会事業へ足を踏み入れさせる要因となった。
 留学中の吉野について牧野英一は以下のように語った。「吉野君は実によく勉強した。」「直接に自己の眼と耳とで、彼の国々を了解しようと努めた」。「社会党の中へ入り込んで、親しく彼らの心理や、動作や、事業や、主張やを研究するのであった。」と、現地での生きた民主政治を体験した。吉野はまず、女性の政治への関心の高さに驚いた。ベルリンでの婦人選挙権に関する演説会等での女性の多さ、イギリスでの過激な女性参政権拡張論者の活動を見聞し驚きをかくさない。また、有料の政治演説会に群がるパリの人々の姿、整然と歩く工場労働者の姿、金持ちの息子が職工をするなどの事実は、吉野の労働者・民衆観を一変させた。そして社会民主党の演説会での中正な態度、ウイーンのデモにおける冷静な人々の様子など、沈着冷静な民衆運動に、最初は違和感、次第に同調へと変わっていく。こうして、吉野は民衆政治を「世界の大勢」と受け止め、「民衆政治」の基礎を築くべく、帰国後の政治論で普通選挙論、そして政治の根本的精神として「民本主義」論を主張することとなる。(文責・田沢晴子)

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4,もうひとつの吉野像 NPO法人「古川学人」 理事  石川博

 古川市内の小学校に通う児童が郷土の学習の参考に使っている資料に、”わたしたちの古川”という冊子がある。ここには郷土の偉人という一章が設けられていて、吉野作造博士についてかなり詳しい記述がある。博士は、国民の幸せのための政治をめざす「大正デモクラシー」の中心になった人物として紹介され、古川にはその業績をたたえる「吉野作造記念館」があると説明されている。
さらに読み進むと「東京帝国大学の先生をしながら、たくさんのすぐれた本をあらわしました。大学の先生だからといって少しも気どらず、困った人の相談にのるのでみんなにしたわれました。またよいと思ったことはすぐに実行に移す人で、社会をよくするためにいろいろな会を作り、活動を続けました」と続く。ここに出てくる博士の姿は、大学の先生、すぐれた本をあらわした人、困った人の相談にのる人、よいと思ったことを実行に移す人、そして、いろいろな会を作って活動した人だ。
 博士がどの様な分野でどの様な業績をあげた人物だったのかについては、さまざまな観点からのアプローチが可能であろう。
東京帝国大学教授に就任して政治史の講座を受け持ち、「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」をはじめとする一連の論文を矢継ぎ早に発表したという意味では、彼はまさしく大正デモクラシーの理論的な先駆となる政治学者だった。
 また、旧制第二高等学校在学中にキリスト教と出会って洗礼を受け、東京帝国大学に入学するために上京した後も、本郷教会の海老名弾正のもとでさまざまな活動に携わる敬虔なクリスチャンでもあった。さらには、鈴木文治や安部磯雄らとともに、普通選挙権獲得運動や働く人々の経済的社会的地位の向上に尽力した、という意味では社会運動家だったとも言える。
 短い時間ではあったが、請われて朝日新聞社に籍をおき、健筆をふるうジャーナリストとして活躍した時期もあった。
 これだけの仕事を、それぞれの場面で同時にこなせる人物があの時代に現実にいたいというのは正直言って驚きである。当世流に言えば、博士こそまさしくマルチ人間そのものであったといってよい。
 しかし、私がイメージする吉野作造博士の像はやや違う。むろん政治学者、クリスチャン、社会運動家、そしてジャーナリストであることを踏まえた上でだが、私は博士をある種のファイターでなかったかと思っている。つまり戦う人だ。博士は像牙の塔にひきこもる生き方を拒み、生活にあえぐ人々とともに戦う生き方を貫いた、というのが私にとっての吉野作造博士である。
 人々の暮らしの中にとけ込み同じ空気を吸い、人々の目、耳、口となり、時には生命までかけて論陣を張るその姿は、まさしく戦う人そのものでった。このようなファーターとしての吉野作造博士から私が学んだものは、しっかりした足場に立ち、自分の思うところを堂々と主張することの大切さである。
 世に吉野博士の研究者を自称する人々は少なくない。しかし、残念なことにこれらの方々の多くは、書斎の中の趣味の世界に安住しているような気がしてならない。博士はそのような生き方をキッパリと退けたのではなかったか。時代を感じ取り、市井の人びとと手を携え、自身の考えをはっきりと世に問う姿勢を持つことこそ、吉野作造博士にかかわる基本的なスタンスなのだと私は思っている。

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5.図書・資料システムを導入します
当記念館では約5000点の蔵書や資料を保存しています。この中には、きわめて貴重な資料類も含まれています。それらについては当然のことながら適切な保存方法が求められ、記念館として随時、保存環境の改善を図っています。
そのため、コンピュータによる蔵書管理・検索システムを稼動させるべく準備作業を進めています。来年度からは専門家のみならず多くの皆様の研究・調査等に従来以上のサービスを提供できるようになります。どうぞご期待下さい。
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6.新発見資料紹介 佐々木平太郎日記 館長  田中 昌亮
 古川市七日町橋平酒造店、佐々木一郎氏のご提供である。
 明治四十一年から昭和二十一年までの佐々木平太郎〈六代目 平之丞〉の日記・手帖四十冊。古川高等小学校・古川中学校(旧制)・慶応大学・橋平酒造店と古川・東京を生き生きと書いている。保存の状態も大変よく、然も名文であり、古川の近代史そのものである。
 ほかに明治・大正・昭和の五代目平之丞・平太郎宛書簡一五〇〇通。正に貴重な一次資料である。今後これだけ多くの書簡・日記を入手することは難しいであろう。これによって古川の歴史をより深く理解することができると思う。
 紙数の関係でごく一部しか紹介できないのが残念である。
佐々木平太郎日記

明治四十五年一月十一日(木)
 今日ノ昼スギマデ電話ガ一寸開通シタト云フ話ナルノデ私ガ直チニ電話ノリンヲ鳴ラシテヤリタルガ、ホントウノ開通デナイノデ交換局デハ応ジザリキ


大正二年四月十九日(土)
晴・風
 今日ハ明日ヨリ汽車ノ開通スルニヨリ工事等終リ試運転ナリ 初メテ客車来リ 人々大騒ギシタリ

大正二年四月二十日(金)雨
 友四人来タリ 皆サント停車場ヘ行キ開通式トノ事トテ人、人Stationニ満ツ 十二時半帰リ我宅ニテ遊ビタリ

大正二年九月十七日(水)
古川座ニ於テ政談演説
前逓信大臣 男爵 後藤 新平殿

代議士      島田 三郎氏

代議士      河野 広中氏

代議士     村松 亀一郎氏

代議士     藤沢 幾之輔氏

代議士      首藤

         鴨田 三郎氏

貴族院議員    荒井 泰治氏

我古川中学校ニテハ放課後 荒井氏ノ話アリ後 後藤男爵ノ話アリタリ 荒井氏ノ話独立ノ事ニ付キテ一時間余話サレタリ 後藤男爵ハ 多忙ナルニヨリ一時間程先祖尊敬、師友撰擇ノ事ニツキテ話サレタリ 所々ニ 英語ヲ用イ僕等ニ解ラザル言葉モ所々ニアリタリ

大正四年三月十一日(木) 曇
 政談演説アリ 古川座ニ於テ無所属 小山東助君、武田義三郎君、吉野作造君来タリ 吾々勉強セント思ヘドモ仲々演説ノ気ニナリテ出来ズ。


大正四年九月十二日(日)
 十二時半 忠右衛門君ノ宿ニ行ッテ見ルト忠右衛門君ハ僕を訪問シテ今帰ッタバカリナリト云フ コレヨリ一時半二人デ出発シテ小石川ノ知リアイノ人ヲ訪問シ、ソレヨリ宮城サンノ所ヲ訪問シテ留守 ソレヨリ斉藤二郎サンヲ訪問シ又留守ナリキ 吉野博士ヲ訪問ス 留守ナリキ

大正五年二月十七日(木) 
晴・曇
 放課後柔道 足痛メテカラ元気ヨク稽古スルコト出来ズ 忠右衛門君来リ 細川先生死ンダソウダ 又議会傍聴券 菅原伝氏ヨリ二枚貰ツタトノ事 然シ 僕ハ土曜日ニハ行カレズ 忠右衛門君五時帰ル


大正五年二月二十二日(火) 
雪・曇
朝起キレバ雪五寸程積ッテ居ル
 何トナク世ノ中が静マッタ様デアル 雪ハ尚降ル 今日ハ寒イ 午前十時頃ヨリ雪ハ霙ニナル 三田文学ヲ見ル 忠右衛門君ヨリハガキ来ル 「来ル二十七日(土)細川先生追悼会ヲ帝大内ニテ開クニ当リ古川出身ノ方々ノ住所ト名ヲ急用ニツキ知ラセテクレ」

大正五年二月二十七日(日) 晴
 五時ニ至リ忠右衛門君ヲ訪問ス 五時半 帝大ニ共ニ行ク 七時スギヨリ会初ル 絹布ニ出席者ノ名書ク コレヲ細川先生ノ遺族ニ送ルト云フ 九時閉会 会費四十錢 十時帰宅セリ 吉野作造氏、三浦吉兵衛氏、手島先生、三浦篤氏、清野鳴雄氏、吉野信次氏、亀谷徳兵衛氏、松木友則氏、菅原光蔵氏、岩崎弘毅氏、佐々木忠右衛門氏、佐々木武雄氏、佐藤鉄之助氏、新妻武雄氏、安倍辰夫氏、僕

大正五年三月五日(日)
 朝曇ルガ十時頃ヨリ好天気トナル 実ニ春日和ナリ 石川市治君ヨリ手紙来リ「細川先生ノ頌徳碑ヲ建テルニヨリ寄付募集係、石川君ハ頼マレタル 而シテ在東京ノ方々ニ寄付ヲシテクレト云フ事」 石川君ニ在東京ノ古小出身ノ人々ノ名ヲ書イテ送ル

大正五年九月三日(日)
 午前十二時前晝食終ヘ谷地森君ノ所ニ行キタリ
古川ニ於テ盗賊非常ニ流行シテ居ルヲ聞キタリ 午後一時頃共ニ小学校ニ行キタリ 尚友会二時半ヨリ始ル 会費十五銭ナリキ 小学校ノ新校長阿部小次郎氏ヲ招待シタリ 忠右衛門君開会ノ辞ヲ述ベ十氏程演説アリタリ 福引モアリタリ 而シテ五時半解散セリ 出席者七、八十名位ニ見エタリ 夜忠右衛門君来リ明日上京ナリト 九時帰ル 盗賊流行ニヨリ戸締リヲヨクシタリ

大正六年四月五日(木) 
晴・風
 晴天ニテ暖カニシテ体ノ置ク所知ラザル程ナリキ 午後一時ヨリ古川座ニ政談演説アリタリ 小山東助君ノ応援演説ナリキ 内ヶ崎氏菊池ノ名士来リ 二時コロ行キテ聞キタリ 内ヶ崎氏ノ演説ハ人々ヲチャームスルモノナリキ

大正八年二月二日(日)
cloudy fine snow
 安部止水先生ヲ訪ヒ回章ニ印ヲ貰ヒ中島鵬六氏ヲ訪ヒタルガ留守ナリキ

大正十年三月三日(木) 曇
 今日ハ皇太子殿下 御渡欧ニテ学校ハ臨時休校ナリ
 九時スギ善右衛門ト共ニ日比谷図書館ニ入リタリ見送リノ人々 実ニ多ク兵隊ノ数モ大変ナルモノナリキ 僕等日比谷ニ行キタル時ハ殿下御出発ナサレタル時ニシテ御龍顔ヲ拝スルコト能ハザリキ 十一時半図書館ヲ出デテ 善右衛門ト銀座ヲ散歩シ十二時コロ電車ニ乗リ別レテ学校ヘ行キタリ
朝鮮問題講演会一時ヨリアルニヨリ聴衆多シ 0時半忠右衛門君ニ会ヒ共ニ講演会ヲ聴キタリ 一宮房次郎氏・中野正剛氏・永井柳太郎氏ノ演説アリテ聴衆ノ朝鮮人ハ大分騒ギ回リタリ 五時スギ 三田通リニテ忠右衛門君ト別レテ後藤君ト共ニ帰リタリ

大正十三年四月十八日(金) 
晴風
 午後一時ヨリ吉野博士、※下村博士、柳田氏、内ヶ崎氏の講演会アリテ古川座充満セリト ※ 下村宏

昭和十二年六月四日(金)

 吉野信次氏 商工大臣ニ就任ス 夜祝ノ提灯行列アリ

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7.子供向けホームページ 「はかせのたまご」 
吉野作造記念館のホームページをご覧になったことがありますか。いろいろなイベントや各種資料、施設の内容などについて詳しく紹介しています。そしてこの11月から、子供向けホームページを開設しました。クイズ形式や紙芝居スタイルで、楽しみながら吉野作造に関心をもってもらえるようになっています。その中身をここで少し紹介します。ご興味をもたれたら是非インターネットを訪れて下さい。
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8.こんなことやっています 吉野作造記念館イベントダイジェスト
春の特別イベント
写真展示「昭和の古川」:4月15日〜5月5日
ビデオ上映      :4月19日、20日、26日、27日

 昭和の古川の写真57点を記念館廊下に展示しました。昭和初期の古川の賑わいの様子や、昭和50年代後半の新幹線開通式の様子など、古川が歩んできた歴史に、みなさんそれぞれ懐かしい思いでご覧になっていました。ビデオ上映は、「荒雄公園花見」など4本を上映しました。特に全国各地の桜の名所を映したビデオはとても好評で、会場からは桜の見事な様子にざわめきが絶えませんでした

ゴールデンウィーク企画
平成十五年三月二十二日

 吉野作造没後七十年という節目の今年、記念イベントの第一弾として開催いたしました。
吉野が大好きだったというおしるこを当時のままに再現し、来館者にご試食いただきました。 また、研修室ステージには吉野家の居間を復元。大正ムードが溢れる中、吉野の性格や生活ぶりを「朗読」という形でご紹介いたしました。渡辺裕子氏による楽しくも心に響くその朗読は皆様に吉野の新たな魅力をお伝えできたのではないでしょうか。

吉野とその時代をしのぶ
2003.5/3〜5/5
 天気に恵まれたゴールデンウィークの3日間、子供向けイベントを開催しました。「アニメ上映会」では子供たちの大好きな『アンパンマン』等を上映し、たくさんの家族連れで賑わいました。自由に絵を描こう「お絵かき大会」や『おひさまの会』の方々にご協力いただいた「手作りおもちゃコーナー」では、楽しみながら“もの”を作る子供たちの姿が印象的でした。休憩ラウンジでは9種類のアイスクリームを販売し、荒緒公園を散歩する人たちにも好評でした。
高校生無料招待企画
平成十五年四月〜七月

 宮城県内全ての高校生を対象とした企画です。今回は仙台市にある尚絅学院女子高等学校の生徒が授業の一環で来館いたしました。館長による解説の際は大いに盛り上がり、吉野や当時の時代背景について楽しく学べたようです
 今回、残念なことに地元古川市内の高等学校からの参加はございませんでした。吉野に接する場としてはもちろん、これから社会へ羽ばたく人材育成の場としてもどうぞご利用ください。

夕涼みイベント

平成十五年八月二日

 古川の花火大会に合わせて夜間開館をいたしました。夕方からはプロサックス奏者、ヒロ・菊地さんによるJAZZライブが行われました。市内外からたくさんの方にお越しいただき、記念館は一瞬にしてJAZZスポットに早変わり!また、中庭でのビデオ上映や軽食の販売も好評をいただきました。当日は天気が心配されましたが、屋上から見える花火はとても美しく、多くの方が満足されたことでしょう。

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9.寄贈資料一覧 2003年(1月〜9月)
多くの方々のご厚意を得て貴重な資料をご寄贈いただいております。厚く御礼申し上げます。
資料名 寄贈者
「群山」 扇畑 利枝
「基督教大観」   他10点 菅野 又雄
「庶民葛西史」 黒羽 武蔵
「急進徹底普選即効パンフレット(一)」  他4点 佐々木 一郎
「吉野作造對近代中国的認識與評價」  他5点 佐々木 源一郎
「Tunisia-Japan : Cultural Dialogue」 チュニジア共和国大使館
「桃山学院大学教育研究所 研究紀要 第12号」 桃山学院大学教育研究所
「東北大学関係写真目録」 東北大学史料館
「焔 第64号」 神川 正彦
「多賀城碑の拓本と李樹廷の書「新島研究」第94号抜刷」他2点 太田 雅夫
「エコエティカ」 長谷川 信博
「井上ひさし『王子と私』関連直筆年表」 他21点 こまつ座
「大槻文彦先生胸像作成由来」写真複製 他2点 宮城県仙台第一高等学校創立百周年記念事業実行委員会
「東京帝国大学卒業アルバム 大正十四年」 村木 智彦
「大正十五年の社曾事業を顧みて」 他4点 菅原 一也
「仙台文学館所蔵資料目録」 仙台文学館
「東北大学百年史4 部局史1」 東北大学百年史編纂室
「同志社山脈」 他1点 本井 康博
「読売ぶっくれっとno.32 大正 世相こぼればな史」 他3点 読売新聞 東京本社
『「第三の開国」は可能か』 日本放送出版協会
「詩画」額 佐々木 浩
「日本歴史 第665号」 吉川弘文館
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新発見資料紹介・お知らせ・受贈資料・事業カレンダーは省きました。
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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
吉野作造記念館だより第13号
第13号
吉野作造記念館だより第12号
第12号
吉野作造記念館だより第11号
第11号
吉野作造記念館だより第10号
第10号
第9号 第8号
第7号 第6号 第5号 第4号 第3号 第2号
第1号          

*第1号は吉野作造記念館ニュースとして発刊。
 
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吉野作造ゆかりの品や巨大スクリーンで振り返る大正史
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