大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
 

〜10周年を迎えて〜

吉野作造記念館だより 第11号 もくじ

1.〜10周年を迎えて〜

2.これからの記念館情報
3.これまでのイベント紹介
4.吉野が訪れた・・・・90年前の風景を発見!
5.大正デモクラシーと政党政治
 

6.教員長期社会体験研修を終えて

.古川高校感想文紹介 〜吉野作造記念館を訪ねて〜
8.寄贈資料一覧

1.〜10周年を迎えて〜


吉野作造記念館開館記念講演
(1995年)

天皇・皇后両陛下ご来館
(1997年)

毎回大好評の井上ひさし名誉館長の吉野講座(1998年〜)

NPO法人古川学人運営の夏の夕涼みイベント
(2003年)
NPO法人 古川学人 理事長 佐々木 源一郎

 戦後五十年の節目の平成七年一月、先生の誕生日に「吉野作造記念館」が落成した。
 「待望の記念館がせっかく完成したのですから、目で見て学んでほしい。また、折に触れて足を運び博士を偲んでほしい」と祇園寺先生は完成にあたって感想を述べられている。
 開館以来、毎年井上名誉館長を始め、読売・吉野作造賞受賞の先生方の記念講演会を実施し、大変好評いただいていることは、大勢の市民のご協力の賜物です。
 平成十四年四月よりNPO法人「古川学人」が古川市より管理運営を受託し、行政と対等なパートナーシップで取り組んでいます。
 記念館並びに先生の資料等は、市民の共有財産であり、保管と活用等には十分配慮しています。
 さらに民間組織ならではの柔軟な発想の下。春・夏の行事等を通じ、記念館の存在を知ってもらい、より楽しんでもらうよう役職員頑張っていますので是非市民各位の一層のご協力・ご叱正をお願いします。

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2,これからの記念館情報

読売・吉野作造賞受賞者講演会
日時 11月20日(土) 14:00〜
場所 吉野作造記念館 研修室

古田博司氏プロフィール --------------------------------------
1953年横浜市生まれ。
慶応義塾大学大学院修了後、ソウル大学大学院で学ぶ。
現在、筑波大学社会科学系教授(東洋政治思想担当)。
東アジア政治思想専攻。法学博士。
東アジアの文化に造詣が深く、その政治情勢と背後の思想を独自の視座から照射する。
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著書
『朝鮮民族を読み解く』『悲しみに笑う韓国人』
『東アジアの思想風景』(サントリー学芸賞受賞)など
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吉野作造記念館のロゴ・マーク作品大募集!!
開館10周年を記念してロゴ・マークを募集します。
主催:古川市・特定非営利活動法人 古川学人

 吉野作造記念館のロゴ・マークのデザインを公募します。テーマは「吉野作造記念館を想像・印象付ける作品」で、どなたでも応募できます。作品はA4サイズまでで作成したうえで、専用の応募用紙に必要事項を記入し当館まで応募下さい。応募方法は郵送または電子メール、直接当館まで持参下さい。
 審査委員は佐藤一郎氏(東京藝術大学教授)、矢野正氏(プラントアーティスト)、千葉常太郎氏(油彩画家)の3人です。採用された方には直接連絡するほか、当館ホームページでも発表し、賞金50,000円を贈らせていただきます。募集期間は2004年9月1日〜10月15日までです。お申し込み、お問い合わせは吉野作造記念館までご連絡下さい。

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吉野作造講座・音楽会
「天は東北山高く」- 吉野作造と旧制第二高等学校 -

昨年に引き続き、今年度も当館館長田中昌亮による吉野作造講座を開催します。
日時 9月18日〜11月20日 10:00〜12:00
    ※10月24日のみ18:30〜20:00
場所 吉野作造記念館講座室
    ※10月24日のみ研修室
受講料 1,000円(全講座分)

日にち
一部
二部
9/18(土) 「ミスブゼルとバイブルクラスニ高生」 「吉野作造と探偵小説」
9/25(土) 「忠愛之友倶楽部と道交会の確執」 「サヨナラダケガ人生ダ」
太宰治と戸石泰一
10/9(土) 「吉野作造と小山東助・内ケ崎作三郎」 「吉野作造と黎明会」
10/16(土) 「吉野作造と菊地謙二郎」 「文学作品の中で古川市と周辺の町」
10/24(日) 音楽会 吉野作造少年軍歌「抜刀隊」を歌う
〜 歌でよむ「大正」という時代 〜  
時間 18:30〜20:00(入場無料)
11/6(土) 「吉野作造と住谷悦治」 「吉野作造と婦人サロン」
11/20(土) 「吉野作造と住谷悦治」 「吉野作造と古城尚友会」
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3.これまでのイベント紹介 (2004年3月〜9月)

新収蔵史料展(2004年3月21日〜4月16日)
 昨年度、吉野作造ご遺族より、色紙や書簡などの史料全87点が古川市に寄贈されました。当館では「新収蔵史料展」として、それらの史料のうち書籍を除いた37点と、新たに発見された吉野家関係写真や吉野作造自筆の書(額装)など合わせて64点にのぼる史料を展示しました。いずれも吉野の交流関係の広さを示し、新たな吉野像の発見につながる大変貴重な史料です。初めて公開されたということもあり、訪れた人々の関心は高く、熱心に見入っている様子でした。

GWイベント(2004年5月3日〜5日)
 毎年恒例となったゴールデンウィークの3日間子供向けイベントを開催した。研修室では「アニメ上映会」、講座室ではおひさまの会の方々にご協力いただき「手作りおもちゃ」を作るコーナーを設けた。連日たくさんの家族連れで賑わった。また、今回は吉野作造をモデルに作成された「着せ替え」に挑戦するコーナーを設けた。子供たちは想い想いに色を塗り自分だけの吉野作造人形を作成していた。休憩ラウンジではアイスクリームに加え、出来たての団子も販売し、幅広い年齢層の方々に好評だった。

ああ、なつかしの古川(2004年8月1日〜2日)
 8月1、2日の2日間「ああ、なつかしの古川」と題するイベントを開催した。昔のおもちゃで遊べるコーナーや、昭和初期の珍しい映像を制作者や当時をよく知る方々の解説を加えて上映し、記念館は懐かしい雰囲気につつまれた。廊下では7月中旬から8月下旬まで七夕の写真を中心に大正、昭和、平成の古川の写真を展示し、多くの方々に楽しんでいただいた。また、日露戦争開戦百年にちなんで黒澤明脚本「敵中横断三百里」を上映し当館館長が解説した。記念館では昨年に引き続き夜間開放を行い、たくさんの方々に花火大会を楽しんでいただいた。

「読売・吉野作造賞贈賞式」(2004年7月14日)
「読売・吉野作造賞」は、2000年度より読売論壇賞と吉野作造賞(中央公論社主催)を一本化し、新たな賞としてスタートした。本年度の受賞作は筑波大学教授・古田博司氏の『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館刊)である。去る7月14日(水)贈賞式と記念パーティーが催された。選考委員会座長宮崎勇氏は「古田氏は著書の中で東アジアの『連帯性の阻害要素』として、儒教を副次的要素とする中華思想の分有を指摘している。氏は歴史的文献と自らの足で歩いた記録を含め実証的であり、文学に愛着を持つ著者らしい文章である」と総評した。当記念館では来る11月20日(土)14:00より古田氏を迎え講演会を開催する予定である。

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4,吉野が訪れた・・・・90年前の風景を発見!
 古川では吉野作造が見ていた風景や建築物を見つけるのは容易ではありません。
しかし、日本とは気候風土の異なるヨーロッパでは、近代化を推進しながら、古い石造りの建築物を残してきました。
 このほど、吉野作造が留学した時期(一九一〇〜一三年)の足跡を求め、ドイツを中心に関係各所を探訪、その結果ウイーン(オーストリア)、シュトラスブール(フランス)で吉野作造の下宿先二軒を確認、さらに約五ヶ月間滞在したリーデンハイム(ドイツ)では、吉野と交流した人物のご子孫に会うことができました。
 吉野留学時代の下宿先住所や足取りは、当時書かれた日記や書簡に手掛かりがあります。
今回は日記の記された場所を現在の名称や住所などを頼りに、地図上へ落とすことから始まりました。その結果ハイデルベルク・シュトラスブール・プラハ・ウイーンにおける吉野の足跡のうち、三十八ヶ所の場所につき、おおよその目安を立てることができました。
 七月末から八月初旬にかけ、実際に当地を訪ねると、結果は予想を越えるものでした。
 まず特筆すべきは、リーデンハイムでの出会いです。
 実はドイツに到着するまで現在のリーデンハイムについてほとんど知識がありませんでした。しかしこの地は吉野最初の友人グレタ・コルムシュテッターがハイデルベルクから吉野を招いた土地です。そして吉野も当時人口六七〇人程度のカトリックの小さな農村をとても気に入り、五ヶ月間滞在しました。新鮮な食べ物に温かい人情、敬虔な宗教心を抱いた人々、警察は不要なほどの治安のよさに驚嘆しながら、ドイツの地方農村に国力の源を見出しています。
 実際に訪れてみると、車なら数分で通り抜けてしまうような小さな村でした。この村には、吉野が滞在した郵便局長宅が現在も同じところに同じ職業のまま存在していました。その当時「東洋の大学教授」が来たことはこの村にとって大事件であったようです。それは「吉野先生はとてもしゃれた教授だったと聞いている」と、父親からの伝聞を当主コルムシュテッター氏が記憶していたことから想像できます。吉野が「一種の社会教育機関」と称した酒場「ドイツ皇帝のレストラン」や教会、小学校は郵便局長宅の目と鼻の先に、九〇年前とほぼ同じ姿でそこにありました。周囲には麦畑がなだらかに広がり、吉野がこの地に愛着を感じたのは、故郷古川の姿を重ね得たからではないかと思われます。
 一方ハイデルベルクでの吉野の学籍簿についてはハイデルベルク大学文書館のご協力を得たにもかかわらず、不明のままでした。また、吉野は徳富蘇峰あてのハガキに「Lavithaus str.21」と下宿先の住所を記しましたが、この住所は現在なく、「筋向う」の佐々木惣一(憲法学者)の下宿やよく食事したホテルからどんな地区に住んでいたかを推測するに留まりました。吉野ら日本人が住んでいたのは、大学や市庁舎の集中する旧市街でなく、少し離れた新市街でした。
 吉野の下宿先については、今回は二ヶ所確認できました。そのうちウイーンの下宿は、ウイーン大学や市庁舎から徒歩で数分程の小路にありました。一九一一年九月十七日、吉野は朝新聞を見て食品価格騰貴に関する市民のデモがあると知り、すぐに服を着替えて市庁舎前広場にかけつけています。整然たる大規模のデモを見たことは、吉野の民衆運動観を大きく変えましたが、それもこの下宿の位置が一役買ったといえるでしょう。
 さらにドイツとフランスの国境沿いの町・シュトラスブールでも吉野の下宿先を発見、滞在中語学の家庭教師とよく散歩していたオランジェリー公園の近くにその建物がありました。
他にも吉野が観光や見学した多くの場所を辿りましたが、何よりも吉野の健脚ぶりと行動力に感心しました。末筆ながら、同行の飯田泰三先生始め」、丸山真男手帖の会のみなさんに感謝申し上げます。
(文責 田澤晴子)

リーデンハイム付近の風景(車窓より)

リーデンハイムのオットマー・コルムシュテッター氏と1890年代

ウィーン吉野下宿先。現在も学生アパートとして使用されているようだった。

ハイデルベルク 吉野下宿付近の通り

ウィーン市庁舎と広場
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5.大正デモクラシーと政党政治
NPO法人 古川学人 監事 佐々木康雄

大正天皇が即位されたのが1912年7月30日 西園寺内閣時代であり二個師団増設問題で総辞職後、第3次桂内閣成立3日前の12月19日犬養毅・尾崎行雄らによって第一次憲政擁護運動が開始され、翌年2月民衆運動となってから1925年(T14)5月男子普選法の成立までの約13年間を大正デモクラシー時代と呼ぶ。或いは1905年(M38)9月日露講和反対運動に始まり1919(T8) 〜20年の普選運動でピークを迎え、護憲三派内閣による普選法成立までのほぼ20年間を大正時代と呼んでいる。

〔1〕「民本主義」発展三段階論
吉野博士は憲法第1条の主権君主を認め、デモクラシーから人民主権を除いたものを「民本主義」と呼んで、ヨーロッパの例として、三段階の発展があると説いている。第一段階は王権や特権貴族に対抗する中産階級が、議会を足場にして政治的自由を訴えた段階で、その最終点は議会の多数党が内閣を組織する議院内閣制である。しかし、この段階の議会政治は有権者が限られており、政党指導者の利権ばらまきなどによる有権者の操縦が容易であり、議会政治とは本来、国民が議会を通して国政を動かすものから、政党が選挙を通じて国民を操縦してしまいがちである。第二段階はこの欠点を克服する為に、20世紀入って普通選挙制の導入が「民本主義」の中心課題になってきたのである。ヨーロッパでは、この第二段階は第一次大戦の勃発以前に達成されたが、普選による政党政治でも実際には下層大衆の社会的・経済的な幸福をもたらさなかった。そこで第一次大戦頃から普選という政治的平等から一歩進んで、社会政策・経済政策による所得の再配分・経済的平等の実現が、「民本主義」の主要課題となった。これが民本主義の第三段階である[i]。
〔2〕「桂園時代」の終焉

第一次護憲運動は「民本主義」第一段階の実現を求めた運動であった。二個師団増設問題に端を発した陸軍の横暴にたいし、亦「閥族打破・憲政擁護」のスローガンを揚げた数万の民衆が議会を包囲して、新聞社投石・放火・交番焼討などの暴動は桂内閣を総辞職に追い込んだのであった。1900年10月から続いた立憲政友会と山県閥系内閣が交互に担当した「桂園時代」の終焉を意味した。1914年4月〔大正3〕非政友会系の立憲同志会と中正会を与党とする第二次大隈内閣が成立したとき、吉野は、「日本において政党内閣が出現した、或いは出現しかかったといふことを申すならば、明治31年6月憲政党内閣のことは暫く置き、先ず今度の大隈内閣を以って其の端緒を開いたと云わねばならぬ[ii]」と高く評価している。ということは、「桂園時代」の伊藤博文・西園寺公望の政友会内閣を「政党内閣」とは認めていなかったのである。

〔3〕原敬政友会内閣成立

 第一次世界大戦の本格化の中で日本経済が飛躍的に発展すると、再び政友会の時代がやってきた。山県系寺内内閣から禅譲された原内閣が、1918年(T7)9月成立すると世論は爵位を持たない「平民宰相」・本格的な政党内閣として好意的に歓迎した。吉野は「原内閣に対する要望[iii]」で善政主義を期待した。経済的好環境の下で政権に付いた原内閣は、@教育施設の拡充A交通機関の拡充B産業・通商貿易振興C国防の充実という積極政策を公約し、実行してゆくことによって 地方有権者の圧倒的支持を獲得した。しかしながら、「我田引鉄」とまで云われた積極政策は選挙対策の目玉であり、結局は利権のばら撒きであった。
 翌年3月に有権者の納税資格を直接国税10円から3円に大幅に引き下げたが、地方有権者を増加し満足させても都市中間層の大部分は、この選挙法改正によっても有権者になれなかったのである。政友会が普選それ自体に反対であり、民党(憲政会・国民党)が普選法案を提出すると衆議院を解散(普選解散)、第14回総選挙で政友会絶対多数を獲得すると、政友会は普選に対する国民の審判は下ったという態度をとり続けたのであった。
 吉野は「中央公論」大正9年4月号で「国民の一人として政友会と原内閣と原首相その人をも信頼する能わざることを断言することを憚らない。[iv]」と強く非難している。
 「大正時代を通じてもっともすぐれた民主主義的思想家であった吉野作造が、生涯を通して政友会とその指導者原敬を嫌い抜いたのには、それなりの理由があったのである。[v]

〔4〕浜口雄幸民政党内閣

 1920年代の国内政治の最大の争点は普通選挙法であって、普選要求運動は啓蒙運動の域を脱し、生活改善の為の政治的自由の実現として要求した全国的政治運動になっていった。第二次護憲運動であった。その間政友会は分裂し中間内閣時代を経て、加藤高明護憲三派内閣の時代に入って普通選挙法がようやく実現し公布された。
 普通選挙後最初に登場したのが浜口内閣であり、1930年2月の総選挙で民政党勝利を背景にして、ロンドン海軍軍縮会議でその協定に調印した。これに対して、海軍軍令部・枢密院・政友会から軍令部部長の不同意を無視して調印したのは、憲法第12条(編成大権)に違反する「統帥権干犯」であると攻撃された。
 浜口は条約上の兵力量を決定するのは海軍省を含む政府の責任でありとして、内閣の軍部に対する優越性を主張し、更にその決定に関する憲法上の学級的論議は、それぞれの研究者に任すべきものであると反駁し、政党内閣の首相にふさわしい堂々たる発言であった[vi]。この点、吉野の軍令権と軍政権とを分けて考えた「帷幄上奉論」[vii]と浜口の主張は良く似ており、議会の多数を背景にした政治は戦前日本でもっとも民本主義的な内閣であった。
 しかしながら、政党内閣は1932年の五・一五事件で倒れた犬養内閣でもって終焉し、吉野の民本主義発展論の第三段階は十数年間途絶えてしまい、戦後日本に委ねられたのであった。

+++ 主な参考文献 +++

〔一〕坂野潤次  「日本政治史」明治・大正・戦前昭和  放送大学教育振興会 2002年
〔二〕松尾尊~  「大正デモクラシー」      岩波書店  1994年
〔三〕有馬学  「国際化の中の帝国日本」〔日本の近代4〕 中央公論社  1999年
〔四〕北岡伸一 「政党から軍部へ」〔近代の日本5〕   中央公論社  1999年
〔五〕吉野作造 「帷幄上奏論」〔日本の名著48〕   中央公論社  1972年


+++ 脚   注 +++
[i] 参考文献(以下略)〔一〕P137〜138
[ii] 〔一〕P141
[iii] 岡義武 編 『吉野作造評論集』P132  岩波文庫
[iv] 岡義武 編 『吉野作造評論集』P161
   (原首相の訓示を読む)岩波文庫  1993年
[v] 〔一〕P127
[vi] 〔一〕P165
[vii] 〔五〕P190~191

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6.教員長期社会体験研修を終えて

2004年7月1日から一ヶ月間、当館の研修生として社会体験研修を行いました。
その感想文を紹介致します。

記念館での一ヶ月
          涌谷町立涌谷第一小学校教諭   菅原 晃敏

 私は、七月一日から一ヶ月「教員長期社会体験研修」で吉野作造記念館にて研修させていただきました。来館者の受付や資料管理など、ふだん経験できない様々な仕事をさせてもらいました。また、研修の時期がちょうど夏のイベント「ああなつかしの古川」の準備期間と重なっていたこともあり、イベントへ向けた裏方の仕事を実際に体験することもできました。記念館を身近に感じてもらい、多くの方に足を運んでもらうため日々努力している記念館の方々の姿がとても印象的でした。小学生向けのイベントでも、子どもの目線で考え、子どものためになりそうな企画を実践されていることに感心しました。
 私は今年で教員生活も十六年目になりましたが、子どもが目を輝かせて取り組む授業や楽しくて、来るのが待ち遠しくなるような学級作りについては日々頭を悩ませているところです。その点、記念館の方々には多くのヒントをいただいたような気がします。
 学校教育と社会教育は車の両輪にたとえられ、お互いに連携を取り合うことがとても大切だと言われています。記念館には、学校にはない豊富な史料、そしてそれらの史料や吉野博士に精通している職員の皆さんがいます。これは記念館の「財産」であり、私たち教員のおよばないところです。博士が唱えた民本主義はもちろん、博士の生き方や人柄には学ぶべき点が数多くあります。授業で博士を取り上げる時には、記念館の皆さんに力を借りていきたいと思います。
 学校しか知らない私が記念館での仕事が勤まるか大きな不安を抱えての研修でしたが、館長さんをはじめ、職員の方々、NPO法人古川学人の役員の方々に支えられ、充実した研修を行うことできました。
 本当にありがとうございました。記念館で学んだ多くのことをこれからの教員生活に生かしていきたいと思います。
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7.古川高校感想文紹介 〜吉野作造記念館を訪ねて〜
2004年2月に古川高校一学年6クラスが来館致しました。その感想文を紹介致します。

一年四組三番 安間 昭太
 今回の吉野作造記念館への訪問と見学は二回目となる自分にとって最初はとても退屈なものになってしまうなぁと思っていました。しかし、社会経済を学び、理解しつつあるような状態であらためてみると、また違った角度から見ることができ、とても新鮮なものに感じることができました。
 見学したものの中で一番印象に残ったことは、吉野作造の人間性です。自分が偉い立場の人間になっても決して気どらず後輩である鈴木文治を素直に先輩、後輩の枠を超えてほめ讃えることができるひたむきさや何でも自分が良い事だと思ったらすぐに実行に移そうとするものすごい行動力、そしてこれからのことを自分の体力や健康をかえりみずに実現できる強い精神力の持ち主であるというような説明を見たり、聞いたりするだけで吉野作造という人間がとても努力家で素晴らしい人であったということがあまり吉野作造を知ってはいない私でも手に取るように浮かびあがってきました。
 吉野作造の偉大さを感じて、後輩である私はそれを誇りに思い、何事もまずはひたむきにやっていこうと思わされました。そしてそのひたむきさがいつか花開くことを願いたいです。
 改めて忘れていたことを学ぶことができました。本当に有難うございました。これからの生活に是非役立てていこうと思います。

一年三組十九番 佐々木孝誠
 吉野作造記念館を訪ねて、まず僕が思ったのは、こんな立派な施設が身近な所にあったなんておどろきだということです。シアターや展示室が完備された、とても近代的なつくりにおどろかされました。まさに灯台もと暗しだと思いました。展示室の展示品等には本の中の人だった吉野作造が本当に生きた証がたくさんあり、古川出身の人としてもっと吉野作造を身近に感じることができました。
 シアターでの吉野作造の生涯をふり返る映画を観て、吉野作造がこれほどまで有名になった理由が分かりました。生でこそ、インターネットが普及し、言論の自由が保障されていますが、吉野作造がいきた時代は天皇が絶対的な力を持っていた時代です。そんな時代の中にあっても、自分の理念を曲げずに、民衆にうったえることは本当にすごいことだと思います。今の時代に比べたら、その難しさは格段に大きいはずだからです。
 吉野作造は、僕に自分の考えを持ってそれを貫くことの大切さを教えてくれました。そういった人達がいたからこそ、今の平和な日本があって、そういった人がいるからこそ、これからの日本の未来は明るいのだと思います。そういった人の一人に、僕もなれたらいいと思います。

一年一組五番 上埜 豪

 私は正直言ってあまり吉野作造について関心がなく、「宮城県出身の偉い人」という様なイメージがあるだけだった。だが実際に吉野作造記念館に行ってみて、その私のイメージはより具体的に深まっていった。
 私は記念館が古川にあることは行く以前から知っていたが、中に入って見学したことはなかった。そのためどんなことを学ぶことができるか、などを頭の中で考えながら記念館へ入った。記念館では、吉野作造の活きた様を伝えるビデオ、吉野が実際に使ったものが展示されていた。これらを体験し、私は吉野作造のすごみに気付いた。彼は一生涯学問に励み、民衆のために「民本主義」を唱えて世の中を変えようとしたのである。堂々と自分の意見を曲げないその彼の姿勢は、彼の知識、努力、勇気を象徴しているのではないだろうか。決して一般人にできる行動ではないと私は思う。
 今の私ははっきり言った優柔不断だ。他人の意見ばかり気にし、自分が本当に思っていることをはっきり発言することができていない。だが、私は吉野の勇気ある行動に触発されて、自分の意見をはっきり言おうとするようになった。これからは吉野の様に努力、勇気を忘れずに進んでいきたいと思う。そうすればきっと吉野作造の様な素晴らしい人間になることができるはずだと私は思う。

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8.二〇〇四年三月〜八月 寄贈資料一覧  順不同・敬称略
多くの方のご厚意を得て貴重な資料をご寄贈いただいております。厚く御礼申し上げます。
〈資  料  名〉
〈寄  贈  者〉
「近代日本研究」 第20巻  他1点
慶應義塾福澤研究センター
「新明社会学研究」 第8号 山本 鎭雄
「比較文学」 第43巻(複写) 和泉 敬子
「同志社談叢」第24号抜刷「社会主義詩人児玉花外の研究(一)」 太田 雅夫
「博物館学入門 ―地域博物館学の提唱―」 金山 喜昭
「東北大学百年史八 資料一」 東北大学百年史編纂室
「自由思想」 第95号 第96号 石橋湛山記念財団
「東北学院資料室」 第3号 東北学院資料室
「講座日本歴史」第1巻〜第13巻 他22点 佐々木 源一郎
「国際連盟協会 会員名簿」 他13点 佐々木 一郎
「大槻文彦先生像除幕記念」9冊 他1点 米城 正興
「日本の時代史24 大正社会と改造の潮流」 吉川弘文館
鶴見祐輔より阿部孝あてハガキ 他29点 菅原 一也
「思想史から見る日本の歴史」 小野寺 満
「国際日本学論叢」第1号 白山 映子
「戦争が遺したもの」 万城目 牧子
「夢の泪」 新潮社
「ウーラノス」 第13号 東北学院大学調査企画課
「東アジア・イデオロギーを超えて」 読売新聞東京本社
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新発見資料紹介・お知らせ・受贈資料・事業カレンダーは省きました。
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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
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第1号          

*第1号は吉野作造記念館ニュースとして発刊。
 
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