大正デモクラシーの旗手、吉野作造ゆかりの品の展示。遠足や社会科見学、講演会会場、展示館貸出も受付。-吉野作造記念館 宮城県大崎市古川

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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
 

〜10周年を迎えて〜

吉野作造記念館だより 第12号 もくじ
1.読売・吉野作造賞受賞者講演会 ロゴ・マーク作品表彰式
2.読売・吉野作造賞受賞者講演会
3.「古城尚友会」について
 
4.聞き書き 吉野作造と富士省三 -富士裕氏に聞く-
5.これまでのイベント紹介
6.二〇〇四年三月〜八月 寄贈資料一覧

1.読売・吉野作造賞受賞者講演会 ロゴ・マーク作品表彰式

2004年11月20日(土)に開催 。
 古田博司氏(筑波大学教授)は、著書『東アジア・イデオロギーを超えて』で「2004年読売・吉野作造賞」を受賞しました。この賞は、2000年度より読売論壇賞と吉野作造賞(中央公論社主催)を一本化し、新たな賞としてスタートしました。
当館では、古田氏を招いて、「東アジアと日本の未来」を演題に講演会を開催しました。近隣国である中国・韓国・北朝鮮の話題を中心に講演を行い、会場を訪れた方々は興味深く聞き入っていました。
講演会要約については2頁をご覧下さい。また、講演会の内容を講演録として作成しましたので、ご希望の方は当館までご連絡下さい。

 当館では10周年を記念し、ロゴ・マーク作品を募集しました。審査の結果、応募総数183点より鈴木寛氏(宮城工業大学事業構想学部デザイン学科)の作品が受賞し、表彰式を行いました。
採用された作品は吉野作造の精神である『「人」を大切にする』意味をモチーフに作成したものです。「人」という文字を囲むように、丸い点を三カ所に配置し、線と点で「和・輪」を表現したデザインです。


2004年読売・吉野作造賞を
受賞した古田博司氏

また、採用作品は広報活動に使用するほか、販売品としての活用も検討しています。これから当館のロゴ・マークとして情報発信して行きます。沢山のご応募を頂き、心より感謝申し上げます。有難う御座いました。
 
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2,読売・吉野作造賞受賞者講演会

 2004年11月20日に当館に於いて、2004年度の読売・吉野作造賞受賞者である古田博司氏の講演会を行いました。演題は「東アジアと日本の未来」と題して古田氏の歩んできた道と研究内容、今の北朝鮮・韓国について、そして、最後に「東アジア・イデオロギー」について、整理され分かりやすく軽快なテンポで講演いただきました。講演終了後は相次いで質問が飛び交い、私たちの近隣国に対する関心の深さを感じました。

<古田氏の歩んできた道>
1953年神奈川県横浜市で生まれ、慶応大学・大学院に進み、紆余曲折の末現在筑波大学院の教授になった。もともと大学では東洋史を専攻し中国の歴史研究をしていた。大学院では、朝鮮史の研究に替わり、3年目で修士号を取得し卒業後に友人の紹介で、韓国に日本語の先生として6年間滞在することになり深く朝鮮を知ることとなる。日本に帰って5年間市立大学の韓国語教師をして、筑波大学から声がかかり政治学の教授となる。

<今の北朝鮮はどんな国か>
北朝鮮の国は、1993年の今から11年前に計画経済の放棄、社会主義の放棄、経済の退歩。ただの貧窮の独裁国となっているのが現状である。

<現在の韓国はどうなっているのか>
韓国は今どうなっているかというと、左翼政権の国になっており北朝鮮に近親感をもっている。韓国の国民世論は親北朝鮮に様変りし、反米が合体し韓国の思潮は反米親北になってしまった。

<東アジア・イデオロギーとは何か>
中国というのは、頭が共産主義で体が資本主義の国である。中国の儒教は、礼の実践ぐあいによって、差別をしてランク付けをしている。これを華夷秩序といい、難しい言葉で華は中華の華、文明の中心ということである。
アジアにとって、中国はもちろん徹底した中華思想。朝鮮も実は中華思想。それでは日本はどうかというと、日本も自分たちが中心だと言い始めた。それは皇国という言葉に象徴される。中国、朝鮮、日本、実はみんな自分がアジアの中心だという意識を抱いて近代に入ったのである。これがこの東アジアという地域の難しさである。みんな自分が盟主になりたいと思う。経済力の一番強い日本が盟主になろうとすると、引きずりおろそうとする。これがイデオロギーになっていて、共同性の形成を妨げているのだというふうに書いたのが、今回賞を頂いた本である。
東アジアが何か、経済共同体のようなものがほしい、共同体のような組織を作ろうと思うのだったら、それぞれが「自分たちが中心」だと思う意識は、少しずつ矯めていかなければいけない。そうすれば東アジアは、交流がある程度できるということになってくるということを繰り返し述べた。でも、現在の韓国、北朝鮮、中国、そういったような東アジア諸国はむしろ逆の方向にどんどんと進んでいる。どうしても自分たちの中華思想が棄てられない。その中華思想のうえにナショナリズムが載っかっていますから、二重構造のナショナリズムがどうしても超えられない。そして、各々が自分が中心だという意識で突っ走るわけである。
上記について、古田博司氏の講演会録より抜粋しました。
なお、当講演録は無料(郵送料は別途)で差し上げております。ご希望の方は、吉野作造記念館までお問い合わせ下さい。

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3.「古城尚友会」について
一九一五(大正四)年八月二十日 吉野作造演説会  館長 田中昌亮
雑誌「新人」一九一五(大正四)年に吉野作造は「旅の空より」を書いた。一部を引用する。
八月十七日再び根温泉の客となりて當時の事を認めんとするに感興更に湧かず。唯講習は豫定の如く十八日より二十三日に及び、其間原町小學校に於ける宮城郡教育會、竝に郷里古川町郡公會堂に於ける古城尚友会講演會にて演説せし事を記憶するのみ。
古城尚友会とはどんな団体か。また演説会はいつ開催されたのか。佐々木平太郎日記に次のように書いてある。
一九一五(大正四)年八月六日・晴

入野田サン朝 渡波を出発セリ

九時コロ海水浴為ス

今野幸助サン(京大理科)ニ会イ

遊ビニ来リ、忠右衛門サン尚友会ニ

吉野作造サンヲ招待スルニツキ

相談シテ古川ニ帰ル

山本正志君遊ビニ来リ

夜正吉サン・誠吾サン・一郎サン・善右衛門ト共ニ

石巻ニ遊ビニ行キタリ九時半渡波ニ帰ル

八月二十日・雨

七時半渡波ヲ出発シ雨降リ来リテ

九時イクラカノ汽車ニテ石巻ヲ出発ス

三日町ノ伯父サン馬車ニ荷物ヲ忘レタルヲ

思イ出シテ大騒ギ

小牛田十一時過ギ出発シテ古川ニ

十二時前着キタリ一時角田君ヘ行キ

三時ヨリ石川君角田君ト共ニ

公会堂ニ行ク安住君ヲ停車場ニ待ツタルガ

来ズ 吉野博士ノ話終リテヨリ 茶話会

吉野サンハ直ニ帰ル

大正六年一月一日・晴

谷地森君ヲ初メハ人集リテトランプニテ

楽シム

四時頃 角田君ト共ニ忠右衛門君ヲ訪問シ尚友会の歌ヲ

訪問シ尚友会の歌ヲ貰ヒテ来リ

これによって古川の演説会は八月二十日に開催されたことがわかる。

次のような書簡もある。

謹啓

前略本日古城尚友会本部開催の件につき

相談すべきに付本日午後正四時古川小学校應

接間まで御参集相成りたく御通知候

大正参年七月二十七日 佐々木忠右門

在校学友会幹事

佐々木平太郎君

佐々木英雄君

佐々木平太郎の手帖には古城尚友会の例会出席者名・会費の徴収の記録がある。

古城尚友会については佐々木平太郎書簡及び日記にたくさんの記述がある。また、尚友会では古川中学校卒業記念の立派なメダルも制作している。※

佐々木平太郎さんは大正四年にこのメダルをいただいた。古城尚友会は古川小学校の卒業生・古川中学校生徒・古川中学校卒業生が会員であるように思われる。

各種講演会・親睦会等の開催をし、吉野との交流も深かった。この会については不明な点も多い。御存知の方がいたら教えていただきたい。

佐々木平太郎 橋平酒造店(六代目平之丞)

新人 一九一五(大正四)年十六巻十号 本郷教会発行

佐々木忠右衛門、古中九回卒業 明治四三年

      第二高等学校 東京帝国大学法律科に進む。

日記・書簡は橋平酒造店、佐々木一郎氏提供である。

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4,聞き書き 吉野作造と富士省三 - 富士裕氏に聞く -
古川中学第一回卒業生の富士省三は、同郷の先輩である吉野作造の思い出を『古川高校創立六十周年記念誌』(一九五七年)で語っているほか、吉野・鈴木文治と偶然出会った際のことを語っていたという。そこで古川市在住の次男富士裕氏にお話を伺った。
富士家は江戸時代中期から古川に住んでおり、曽祖父吉之助は県会議員、祖父は執達吏(裁判所の執行役人)であったという。祖父は当時としては教育熱心で、省三の妹は日本女子大学に入学、次妹も仙台の第一高等女学校に通ったという。
家業が農業(地主)であり、保守的な農家が多い古川の地を見て育った省三は、新しい農法を学ぶため、古川中学卒業後盛岡高等農林(現岩手大学)で農芸化学を研究、のちの東大農学部で鈴木梅太郎にも師事したという。母校教授ののち、古川農事試験場初代場長などを務めた。
省三は、古川中学校時代、二高から帰省中の吉野にテニスと野球を教わったとの回想文を『古川高校創立六十周年記念誌』(一九五七年)に寄せていた。一八九七年(明治三十)、「七月下旬から夏季休業となりボンヤリ家で遊んでおると友人が迎えに来て学校に行ったら吉野作造、大泉哲、伊沢宗平の三先輩が居てローンテンス(テニス)をやるから手伝えというのである」。このとき野球も教わったという。吉野はその後も「夏休みには欠かさず指導して下された」という。これが、古川で始めてテニスと野球が行なわれた記憶となった。
富士裕氏のお話によれば、省三が宇都宮高等農林学校(現宇都宮大学)教授の時、東京の市電である上野の須田町駅で電車を待っていると、ちょうど吉野と鈴木文治が連れ立ってくるのに出会ったという。吉野は「鈴木君は、今度国際会議でジュネーブに出かけることになった、鈴木君もこれによってますます将来有望だ」と言ったという。その後出会うことはなかったという。
「ジュネーブ」という言葉からすれば、出会った時期は、一九三二年十月、国際連盟臨時総会の日本代表随員として鈴木がジュネーブに向かったときのことであろう。この時吉野は五四歳、亡くなる半年前のことで、十二月には入院しているから、最後の出会いであった。
吉野については常に「先生」という敬称をつけて呼んでいたという。戦後片山哲社会党内閣が出来たとき、本当なら鈴木文治が首相となるはずだったのに死去のため実現しないで終った。鈴木死去の報を新聞で知り、「あいつも死んだか」と省三はいったという。
(故人は敬省略しました)
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研究紀要第二号発刊     吉野研究の国際化がテーマ

三月三一日に『吉野作造記念館研究紀要』第二号が発刊されます。マスメディアやホームページを通じ論文を公募したところ、今回は気仙沼市の小山玲子氏を通じて応募された王超偉氏(洛陽外国語学院副教授)の「吉野作造の国益観の転換」に決定しました。王氏は来日経験がなく、小山氏を通じて論文を書き上げました。中国では著書として出版したものだそうですが、日本では未公開の論文であり、吉野研究の世界的な拡がりの一端を示す論文をして、翻訳して掲載することにしました。
また本号から、外国語による研究を翻訳紹介します。第一弾としてチュニジア人ターレク・シュヒディ氏の「近代日本とチュニジアにおける改革主義の思想家―吉野作造とターヒル・ハッダード―」を掲載しました。シュヒディ氏は上智大学でこのテーマで博士号を取得しています。
新史料紹介では、吉野がペンネーム「洋々学人」で執筆した幻の著作『受験答案の書き方』を入手された九州大学文学部助教授山口輝臣氏がご多忙の折紹介の労を取ってくれた上、一月中旬に来館され、本の寄贈をも申し出て下さいました。

また、田中館長による「戸石泰一『秋の星空』を読む」は本年度開講された吉野作造講座の成果としてまとめられました。田澤晴子「吉野作造の足跡を訪ねる―ハイデルベルク・ウイーンを中心に」は昨年七月から八月にかけて丸山真男手帖の会のメンバーとの調査旅行の詳細な記録です。当館における本年度の事業報告なども紹介しています。盛りだくさんの第二号、どうぞお買い求めください。(頒布価格千円)
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5.これまでのイベント紹介
二〇〇五年一月二十六日に古川工業高校三年生が来館しました。また、三月二十三日には古川高校一年生が来館しました。その際の感想文を紹介します。

近代化遺産ツアー2004 2004年10月23日
古川市教育委員会主催、NPO法人古川学人後援により近代化遺産ツアーが行われました。これは、今なお残る歴史的建築物を巡り、その歴史や保存の大切さを再確認するという企画で今年で四回目となります。今回は三十八名の参加者と共に、「近代建築の現在とその歴史」というテーマのもと、仙台市に足を運び現存する近代建築を見学しました。
〈行程〉 古川市役所(集合)→東北学院大学土樋キャンパス→光原社→東北大学片平キャンパス 

 ◆東北学院大学土樋キャンパス◆ 
東北学院大学では、三つの建物を見学しました。始めに事務局の藁科明宏さんの案内でラーハウザー記念礼拝堂を見学。この建物は、一九三二(昭和七)年に建てられ、現在も礼拝堂、地下は東北学院資料室として使われています。当日は、実際に行われている礼拝に参加しました。正面に設置されているステンドグラスが印象的で、皆さん熱心に見入っている様子でした。その後、東北学院資料室に移動。東北学院の歴史に触れ、また開催中の特別展示「大正デモクラシーと東北学院」を見学しました。次に、シップル館という洋風住宅を見学。この建物は一八八七(明治二十)年頃、宣教師デフォレストの住居として建てられ、後に宣教師シップルが居住したことからシップル館と呼ばれるようになりました。土樋キャンパスでは最も古い建物で建築から一二〇年近く経過しています。最後に訪れたのは、本館です。一九二六(大正十五)年に建てられ、正門の真正面に位置しています。現在は事務管理棟として使われています。

 ◆東北大学片平キャンパス◆ 
片平キャンパス内には、明治、大正期に建てられた東北帝国大学、旧制第二高等学校、仙台医学専門学校、仙台高等工業学校の校舎が今も残されています。まず、東北大学史料館にて研究員の永田英明さんの案内により「魯迅先生東北大学留学百周年記念特別展 魯迅 歴史のなかの留学生」を見学。魯迅の成績表やノートなど大変貴重な史料に、参加者の方も関心を示していました。史料館となっている建物も一九二五(大正十四)年建造です。他に、一九二三(大正十二)年東北帝国大学理学部生物教室として建造され、現在は放送大学宮城学習センターとなっている建物、旧制第二高等学校の門柱、最後に魯迅住居跡を見学し、今回のツアーを終えました。
新しい建物が立ち並ぶ仙台市中心部にも、普段は見落としがちな数多くの近代建築が残っています。それら建物の歩んできた歴史を知り、また保存し活用していくことの大切さを実感したツアーとなりました。

吉野作造講座 2004年9月18日〜11月20日
多くの人に吉野作造について興味を持ってもらおうと、今年度も当館館長田中昌亮による吉野作造講座が全六回にわたり開かれ、毎回二十名を超える受講者が集りました。今回は「天は東北山高く―吉野作造と旧制第二高等学校―」を主なテーマとし、学生時代の吉野作造にスポットをあて、たくさんの資料を用い、吉野の人物像にせまりました。また今回は、講座の特別企画として音楽会「吉野作造少年『抜刀隊』を歌う―歌で読む『大正』という時代―」も開催しました。
講座の中では、尚絅女学校の初代校長で、バイブルクラス(聖書研究会)を主宰し、吉野をキリスト教入信へと導いたミス・ブゼルの軌跡や、旧制二高キリスト教団体である忠愛之友倶楽部の活動、その他、仙台での吉野を知るうえで重要な人物や、場所などを資料とともに紹介しました。
受講者の皆さんは、大変興味深く聞き入っており、新たな吉野像を知っていただけたのではないでしょうか。

音楽会 2004年10月24日
吉野作造の生きた時代を歌でふり返る音楽会を開催しました。大正・昭和初期の歌十一曲を古川女性合唱団「アイリス」と指導者の中本義弘氏、アコーディオン演奏者の鈴木芳郎氏、古川マンドリンクラブの松沢敏夫氏に演奏していただき、その曲間には唱歌にまつわる吉野のエピソードや当時の時代背景など解説を交えながら紹介しました。吉野が実際に歌ったり聞いたりした曲、吉野と関係のある人々の曲などを当館館長田中が選曲しました。

◆吉野作造と関係のある人々◆
「荒城の月」は土井晩翠の代表作です。土井は吉野の七年先輩にあたります。土井と吉野の交流は様々な場面に見受けられます。「青春の意気」は浪人会との立会演説会での吉野の勝利を称え土井が作詞し、それに弘田竜太郎が作曲したものです。弘田と同じ作曲家で吉野と関係の深い人物に小松清がいます。小松は吉野の三女光子と結婚しました。東京大学、東京藝術大学の教授となった一方で、東京音楽学校選科器楽科に入り、ピアノと作曲を学び、作曲家、音楽評論としても活躍しました。小松作曲の「高体連の歌」は今もなお歌われています。

◆吉野作造と讃美歌◆
吉野は「小学時代の思ひ出」(新旧時代・一九二六年二月号)で、「始めて教わった唱歌は『見渡せば青やなぎ』とかなんとかというのであった」と述べています。この「見渡せば」は讃美歌の旋律に歌詞をつけたものです。この曲は「むすんでひらいて」と歌詞を変え、リズムも若干早くなりましたが、いまでも幼い子供たちの間でひろく歌われています。讃美歌はキリスト教徒であった吉野の人生に度々登場します。「花よりめでにし」は吉野がヨーロッパ留学中に下宿先で歌った歌ですし、「讃美歌489(旧565)番」は吉野の葬儀で歌われました

博物館実習 2004年8月17日〜22日

昨年に引き続き博物館実習生の受け入れをしました。本年度の実習生は東北学院大学文学部史学科の3年生3名です。実習生の感想の一部を紹介します。
6日間の博物館実習は、短いながらも充実した日々だった。私にとって、この博物館実習は学芸員資格のためというだけではなく、日頃知ることの出来ない博物館の裏側を体験することで、それまでとは違った視点を身につけることが出来るのではという思いもあった。

大学の講義から、博物館はどちらかといえばそれ自体で成り立っていると考えていた。ところが実際に実習を受けていくにつれ、博物館は単独で成り立っているわけではなく、市町村の教育委員会や住民など地域社会と関わりながら成り立っていることを実感した。
◆今野 良隆◆
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博物館実習を振り返ってみると、この一週間はあっという間だった。短い期間だったが、博物館運営や展示環境などについて説明を受けたり、展示をわかりやすく説明する方法、常設展示室の入替え作業、企画展などを自分で考え、発表したりと様々なことを体験した。実際にやってみて、思った以上に難しいことがわかった。また博物館がおかれている厳しい状況というものも知った。
学芸員は資料収集、企画、展示など多くの作業をやらなければならない。学芸員の仕事については大学の講義でも習っているが、実際に自分で経験してみてその広さを改めて感じた。
◆千葉 晴貴◆
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6日間の博物館実習を終えて特に印象に残ったのは、劣化している史料を保護する為に行った常設展示室の入替え作業である。入替えする史料を数点選び、それに代わるものを私たち実習生が選定し、キャプション作成も行った。私は「アカデミズムの人・吉野作造」というコーナーの中の「歴史家としての吉野」を紹介している箇所に注目した。大正期、第一次世界大戦をはじめ、大きく変化しつつあった世界に対し、吉野が歴史家という視点でどのように現代史をとらえていたのか、歴史を学んでいる者としてとても興味があった。来館者の方々にも政治学者としてだけではない吉野作造の一面もぜひ見てもらえたらと思う。
◆守屋 美穂◆

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6.2004年9月〜2005年2月 寄贈資料一覧  順不同・敬称略
多くの方のご厚意を得て貴重な資料をご寄贈いただいております。厚く御礼申し上げます。
〈資  料  名〉
〈寄  贈  者〉
『Quadrante グヴァドランテ〔四分儀〕』bP 他四点
佐々木源一郎
写真「柳田邸しだれ桜(吉野作造贈呈)」  柳田冨美子
『図書』 第665号  万城目牧子
『朝鮮日報』 二〇〇四年九月四日付  磯田淳
『吉野作造記の人生論ノート』 松岡八郎
『日本労働運動の父 鈴木文治』 吉野先生を記念する会
『尚志』 第82号   和泉敬子
『野村胡堂・あらえびす来簡集 ―明治・大正・昭和を彩る交遊録』 野村胡堂・あらえびす記念館
『丸山眞男手帖』 第32号  丸山眞男手帖の会
鳴子温泉写真ハガキ及び写真 第28号 佐々木榮董
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新発見資料紹介・お知らせ・受贈資料・事業カレンダーは省きました。
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大正デモクラシーの旗手民主主義の父吉野作造の、吉野作造記念館が発行している「吉野作造記念館だより」のべっくナンバーをご紹介します。
吉野作造記念館だより第13号
第13号
吉野作造記念館だより第12号
第12号
吉野作造記念館だより第11号
第11号
吉野作造記念館だより第10号
第10号
第9号 第8号
第7号 第6号 第5号 第4号 第3号 第2号
第1号          

*第1号は吉野作造記念館ニュースとして発刊。
 
遠足に観光ツアー、春休み・夏休み・秋休み・冬休みの社会科見学に最適!大正の歴史を語りつぐ喜雄蝶名展示品をご紹介 吉野作造記念館について
吉野作造ゆかりの品や巨大スクリーンで振り返る大正史
民本主義の実現のために奔走した作造の生涯 吉野作造について
大正デモクラシーの旗手として走り続けた吉野作造の足跡
民衆のための政治を求める運動の広まりと時代のうねり デモクラシーって?
民本主義を広めようとした作造が懸命に生きた大正の時代
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